
こんにちは。
ブログ記事が先一昨日、昨日と、更新出来ていませんでしたね。
激アツだったのもありますが、ちょっと気が抜けていた感じもあったりします。
ま、気負わず更新していきます。
さて、今日は父の日だったり、千葉県民の日、栃木県民の日、とネタには困らないのですが、全く別のお話。
ここ数か月、本業である保険の仕事関係で代理店移籍だったり事務所を閉めたりと、なかなかに激アツで行けてなかったフットサルに今日は久しぶりに行ってきました。
私の場合は下手の横好きというヤツでして、決して上手ではありません。リフティングも得意ではありません。
ただ、身体を動かす、ボールを蹴るということが楽しいだけなのです。
この辺りは以前の記事「好きと得意」で書いてありますのでお読み頂ければ幸いです。
久しぶりなので明日になったら筋肉痛が出てくるかもしれませんし、心肺機能が順調に低下しているので(苦笑)、プレイ中は走って行ったら帰って来られません(笑)
まぁ年相応と言えばそうなんですが、それでもなんとか身体は動くほうかと思います。
外見もほうれい線が順調に刻まれてきてはいますが、白髪も少な目で年齢の割には若いと言われたりします。
逆に若い頃は年上に見られたものですが。
「年相応に見られない俺ってスゲー」的なお話ではありません。自慢でもありません。
ただただ、この身体に、そして丈夫に産んでくれた親に感謝ということです。
普通って何?と思うことがあるのですが、普通の意味を紐解くと、
「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。」とあります。
人間は全て違っているので、ありふれたという言葉が適当なのかというお話もありますが、
普通に生活出来ること、普通に生きていること、普通な身体であること、
これは普通なことがもう特別なことなんじゃないかと考えます。
特別変わったことのない普通の日。印象にも残らない過去の日。それを過ごしてきたこと、過ごせていることが、ただただ有り難い。
五体満足で飯が食えている。フットサルを楽しむことが出来ていて、年相応に見られないこと。
自慢でもなく、普通のおっさんであることが、既に感謝なんです。
感謝とは「有り難い」。つまり有り難しこと。普通であることはそれ自体が奇跡であるなら、
普通で居られることが「有り難し」こと。
日々の感謝とは、普通で居られることからなのだと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございます!