こんにちは。
今日は土用の丑の日です。夏の土用と言えば「ウナギ」を食べるという風習がありますね。栄養価の高いウナギを食べて夏バテ防止という意味があるようです。
ただ栄養価の高い食物を普通に食べている現代ではあまり意味が無いとも言えるようです。そもそも鰻の旬は、冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期であり、夏のものは味が落ちるとされています。
ウナギを食べる習慣自体は縄文時代からあったようですが、土用の丑の日にウナギを食べるという風習の発祥には諸説あります。
よく言われる説で平賀源内さんが「商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の元に相談に赴いた。源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着した」という話も真偽のほどは定かではありません。
ついつい「起源」とか「真実」とか気になってしまうことがあります。
「真実」とは「嘘偽りのない、本当のこと、まこと」などという意味になります。人間は社会性動物なので皆が「真実」と思えば「真実」になると思います。
また個人の「真実」はそれこそひとそれぞれあるのでこれも「真実はいつもひとつ」とはいかないと思います。
「事実」とは「実際にあった事柄、現実にある事柄」とあります。これは真実と同じという意味なのですが、私はちょっと違う解釈をしています。
整理すると、
「真実」とは、集団内や個人にとっての「真実」がある。
「事実」とは、実際に起こった事柄や実存する事柄、ただただある事柄。
つまり「事実」は確かにそこにあり誰が見てもその通りであるということ。「真実」は主観であるということです。
だんだん哲学的でめんどくさい荒井になってきました(笑)
過去のことは記録に残っているのなら「事実」なのでしょう。でも「真実」かと問われるとどうなんでしょう?その記録自体が恣意的なものであれば尚更です。
ある集団内で「真実」と思っていても、外部から見たら「真実」ではない事柄。それでもある集団にとっては「真実」なのです。
うん、やっぱり人間って解りあえないんだな。仕方ない。
その認識の上で、それでも解りあおうとする努力や行動が重要であってまた、その継続が大切なんだろうと思います。
口はひとつだけど耳はふたつあるのです。だからひとの話を聴きましょうということだと思います。
またしても脱線しましたが、ウナギの栄養価や、土用の丑の日にウナギを食べる風習の発祥など気にせずに「日本の夏」として楽しむのが一番良いのかも知れません。これを言うために随分遠回りした気もしますが(笑)
そして例えばインバウンドで来日した外国のひとに聞かれたら「夏バテ防止」「平賀源内さん発祥説」くらいお話出来ればいいのかも(笑)だって「真実」かどうかなんて解らないんだし。
最後までお読み頂きありがとうございます!