
こんにちは。
昨年6月4日の記事にも書きましたが、1989年6月4日は第二天安門事件、または六四天安門事件が起きた日です。
昨年書いた通りなのですが、相変わらず世界の何処かで争いがあり、残念ながら亡くなっていくひとたちが絶えません。
願わくば争いの無い世界になって欲しいものです。
・フェルミのパラドックス
話は少し飛んで、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミさんは宇宙に多数の惑星が存在し、そのうちのいくつかは地球と同様に生命が誕生する条件を備えている可能性があると考えました。
その場合すでに高度な文明が誕生し、銀河を渡るような技術を開発している可能性が高いと推測。
しかしフェルミさんは、もしそうであれば、その文明が地球に訪れたり何らかのメッセージを発信しているはずなのに、
現時点ではそのような証拠は存在しないという矛盾に気づきました。これを「フェルミのパラドックス」と言います。
この問題に対しては色々なアンサーが提示されていますが、決定的なものはまだありません。
しかし思うのは、銀河を渡るような技術を持つ高度な文明に我々人類は到達することが出来るのか?という点です。
・最大の問題は「存続」
技術的な問題はやがて解決されると思っています。ひとは想像したものを創造してきたのです。
年月を経ればやがて到達する(と思われる)銀河間航行技術。夢がありますよね。
しかし最大の問題は、「それまで人類が存続することが出来るか」という点だと思います。
ひとは争うことを知っていて、他者のみならず自らを、いや、地球全体を破壊し得る力すら手にしてしまいました。言うまでも無く「核」です。
六四天安門事件の当時、既に中華人民共和国は「核」を保有していました。勿論今でも保有しています。
そしてウクライナに侵攻したロシアも持っています。
ウクライナも当初は核保有国でした。放棄する代わりに安全保障を得たのですが反故にされ今に至ります。
アメリカ、イギリス、フランス、インド、パキスタン、北朝鮮、(恐らく)イスラエル、他にも潜在的に核を持ちうる国が結構あります。その意味では日本も例外ではありません。
子どもの頃、当時は冷戦真っ最中で核戦争が比較的現実味のある世の中だったように感じていました。
しかし実は今でも構図はあまり変わっていなくて、核を使えば報復で使った国家は恐らく潰されますので、安易な核使用は現実的ではないのですが、それでも相当数の核が未だにひとの手にある訳です。
・生物の目的
地球上に生きとし生けるもの全てに共通するのは「存続すること」。
子孫を如何にして残すのか、如何に他者より優位に生存していくのか、など存続し続けることが生物の究極的な目的です。
勿論人間も例外ではないのですが、それをぶち壊すだけの力を持ってしまったのです。
地球外で人類が生活出来るようになってくると、人類の存続の可能性は一気に高まると思います。
なので、せめてガンダムの世界のように軌道上のコロニーで暮らせる、月面で暮らせる位の文明水準までいけば、人類は先に進むことが出来ると思います。
そうなれば、とりあえず一安心なような気がします。
そしてその先に、例えば地球外文明と出会うことで、やがてフェルミのパラドックスも解明されることでしょう。
それまで、どうか人類が存続出来るよう、願ってやみません。
最後までお読みいただきありがとうございます!