ひとの進化の意味って

こんにちは。

去年の5月23日の記事「亀をあがめよ(笑)」で書いた通り、今日は「世界亀の日」という記念日だそうです。

今日のお昼休憩で近所の公園で休んでいたのですがその公園にある池には、「鯉」と「アカミミガメ」しか居ない様子。で、池の端に立っているとエサを貰えると勘違いしてみなさん寄ってくる…こっちくんな(笑)

外来種が悪いとかいろいろと言われています。SDGsにも生物多様性の保護という名目で記載されています。
先ず荒井個人の意見で責任は持てませんが(笑)、ひとが生きている以上、ましてや世界中をヒト・モノ・カネが移動する以上、他地域の生物が侵入してくることは避けられないと思います。
そしてその生物は生きることに精一杯で罪は無いのです。

在来種を脅かす存在は確かに良くないとも思います。だけど全て「人間目線」でしかなく、それこそ「人間の自己満足。または傲慢」だと感じています。

外来種の問題というのは、極論問題は存在しなくてひとが生きているからこそ外来種の侵入があり、それをひとだけが気にしているのかもしれません(異論は認める)

そう考えると、ひとは生きているだけで自然界に害をもたらす存在となってしまいます。
一面それは間違いではないとも言えますが、ひと自身も一生懸命生きているのです。

生物は海で発生したと言われています。その生物が陸にあがり、空にも羽ばたき、陸に上がった生き物の中からひとが発生したとされています。
海から陸、空とは生物にとって過酷で生存すらおぼつかない環境だったことでしょう。それでも適応してきたのです。凄いですね。

そう考えると、生物進化のひとの役割とは、きっと宇宙に進出することなんだろうと勝手に考えています。
生物がそのまま重力を振り切って自力で宇宙に行くことは難しいでしょう。そんな中、ひとは科学を発展させて宇宙へ行く手段を開発してきました。

いまだに一般的でも無く技術的にもまだまだ難しい宇宙への進出。
しかしそれこそがひとの役割と考えると、空や宇宙へ憧れる理由もわかる気がします。

課題は2つ
ひとつは技術の問題。
今のところ宇宙に行くのはロケットくらいしか手段が無く、とっても高価で選ばれたひとしか行けません。失敗も多い。
例えば軌道エレベーターやスペースプレーンといった、いまだSFでしか語られていない技術が伸長してくればもっと沢山のひとが宇宙に行けるようになってくると思います。
沢山のひとが宇宙に行くようになると、きっと意識も変わってくるのでしょう。

もうひとつは争い。
いずれひとはもっと気軽に宇宙へ行く手段を手にすることでしょう。
しかしそれまで大きく言えばひとは存在していられるか?という問題です。
ひとは争うことを知っています。そして自らの存在を無くす手段すら手にしてしまったのです。
宇宙に進出してそこで生活出来るレベルまで技術も進展すればいいのですが、それ以前に自滅しては意味が無い。
そこまで人類は生きていられるのか?ということです。

そこから先は、どのように宇宙に適応していくのか?という問題があろうけれど、そのスタートラインにすら立っていない。

地球という有限な世界の中だからこそ、外来種とかSDGsが声高に叫ばれるのだろうけれど、宇宙という正に無限といえる世界では、もっと別の価値観があるのだとも思います。

願わくば人類はそんな世界まで行って欲しいものです。その頃には人類はどんな進化をしているのだろう?

亀をみながらそう想いました(笑)

最後までお読みいただきありがとうございます!