解ろうとすること

こんにちは。

9月も終わり。やっと涼しくなって過ごしやすくなりましたね。去年も今年もホント酷暑でしたね。以前の記事でここまで暑いと学生のスポーツ大会もままならないので「9月新学期制」にしたほうが良いと書きましたが、ホント検討したほうが良いと思いますよ。サマータイム導入では間に合わないと思いますし、そもそもサマータイムすら普及していないですよね。

しかしながら国政を見ても、旧態依然とした形で色々決まっています。変えるには変えられるだけの立場と力が必要で、それは現状の枠組みを結局踏襲してからでないと変えられないというのは理解できます。
またひとにはそれぞれの考え方があって、それぞれを尊重すべき。とすると1億2千万人の意見を尊重すべきでそれをまとめるには途轍もない労力が必要、というかそもそもまとめられるものでは無いのかも知れません。

そう考えると、とてもじゃないけど政治家なんて出来ませんし、やりたくもないです。ある意味究極の営業職だと思います。

民主主義の国ですから、多数決でものごとは決まります。そして民主主義の国ですから少数意見も圧殺されることはあってはならないのです。
そういった多様性こそ集団を強くする。そして個人に於いても多様性が大切になってくるのだと思います。

個人が他のひとの多様性を理解する。そして自分自身にも多様性があることを理解する。
勿論理解しがたいひとも居ます。また決定的に理解出来ないひともいます。それでも「理解しようとする」ことは辞めてはいけないのかもしれません。

なんだか宗教っぽくなってきましたが、理解出来ないから排除するのは簡単だけどそこで思考は停止します。
解らないけど解ろうとする努力は辞めないこと。その積み重ねがより良い世界にしていく方法なんだと思います。

自分自身と、他人を理解する努力。

最後までお読みいただきありがとうございます!