
こんにちは。
週末、息子の通っていた中学校のソフトテニス部の試合を観戦。後輩たちは惜しくも敗れてしまった。
トーナメント方式だと、当たり前なんだけど負けたらそこで終わり。そして優勝はひとつのチームだったりペアだったり個人だったりする。
スポーツの世界は勝ち残りが当然なんだけれど、それでは負けていったひとたちの想いというのはどうなっていくのか?なんて考えたりもした。
結論は、そのひと個人が消化して昇華させるものだから外野がとやかくいう必要も無い。
所謂肥やしになるというヤツで、決して無駄にはならないのだとも思う。
何ごともそうなんだけれど、今は意味が解らずとも自分自身の時間軸で言うと無駄なことはひとつもないと私は考えるので、
何処かで必ず意味があることに気付く。または意味付けを自分自身でする。
それでも、その時は悔しいし涙もするだろう。
そういった経験が、自分の「皺」になっていくのを見守っていく。
私自身も大人になったのだなぁと感じるけれど、私以上の年長者から見ればやっぱりまだまだなんでしょう。
当ブログの冒頭に「脳みそと筋肉は一生成長します!」と書いてみたけど、脳みそに入るのだろうけど、自分自身の成長も一生続いていく。
そして限りある命だからこそ「その先」を見続けて成長していく。
もし私が不老不死だったら、時間軸という意味では無限なので、何処までも成長していける可能性もあるのだけれど、
多分何もしない(苦笑)。だって死なないし老いないということは、停滞しようが成長しようが何も変わりがないのだから、そういった意欲も意味も無くなってしまうと思う。
限りある命だからこそ、今を精一杯生きて、時には悔しい思いもして、そして成長していく。
その時間が私より圧倒的に多い中学生、高校生に心よりのエールを送りたい。
人生は楽しいよ!と。
最後までお読みいただきありがとうございます!