水と安全はタダなの?②「命を護る」

こんにちは。

昨日の記事「水と安全はタダなの?①」では「命と水」という期せずして根源的な内容になりました。これまとめるのは大変だよね…
なので先ずは「命を護る」というお話をさせて頂きます。

・命を護る行動
地震・台風・水害・火山噴火などが頻発する災害大国日本。災害時のニュースで「直ちに非難を!命を護る行動を!」とよく聞くようになったように感じます。

人間を含む全生物の究極的な目的とは「存続すること」だと思います。なんて難しく書きましたが、要は「生きていくために生きる」。言葉で聞けば当たり前なんでしょうけど、生物には「生」の文字がある訳です。
人間は存続するために社会を形成して文明を発展させてきました。社会には当然ルールがありルールに反すれば罰が与えられます。
中には「どうしてこうなった?」と思ってしまうルールもあるかと思いますが、ルールが守られなくなったらそれは社会の崩壊を意味するのです。

前置きが長くなりましたが、自然災害と人為的な犯罪行為を一緒にする訳ではありません。しかし「命を護る行動」という意味ではどちらも「防ぐ」「減らす」という考えが大切なのだと思います。

以前「防災と減災」という記事を書きました。自然災害に対する心構えや対応方法などを書いたのですが、災害を防ぐ「防災」、災害にあっても被害を減らす「減災」という考え方です。
犯罪的行動から身を護るには「防犯」という言葉が使われます。「減犯」とは言いませんね。これは犯罪被害に遭っても被害を減らすという考え方は「防犯」に包括されているからだと思います。
更に言うと「減犯」と言わないのは、そもそも

「君子危うきに近寄らず」
君子とは「徳のあるひと、人格者」という意味なんですが、自分から危ない場所には近づかず、行動に気をつけるという意味です。
防災・減災、そして防犯も先ずはこの一言に尽きると思います。勿論予期せずに巻き込まれることもあるかと思いますが、先ずは「危ない場所・ひとには近づかない」。まぁ危ないひとってのも判らなかったりもしますがね。

「カルネアデスの板」

「一隻の船が難破してしまい、乗組員全員海に投げ出されてしまいました。
ひとりの男が命からがら、壊れた船の板切れにしがみつきました。
するとそこへもうひとり、同じ板切れにつかまろうとするひとが現れました。
しかし二人でつかまると板そのものが沈んでしまうのではじめに板につかまった男は後から来たひとを突き飛ばして水死させてしまいました。
その後救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたけど、つみに問われることはありませんでした。」

緊急避難の例として現代でもしばしば引用される寓話です。
例えば命の危険を感じるような犯罪に出くわしてしまった場合に、自分の身を護る(存続し続けるために)相手を殺してしまうというのは仕方のないことかもしれません。
社会のルール(法律)では「正当防衛」と「過剰防衛」の明確な線引きはあるようですが、そんな緊急事態に考えてられませんよね?仕方のないことかもしれませんとはそういう意味です。

道徳的とか、個人の価値観などはあるかと思いますが、板切れにつかまってきたひとを落とすというのは語弊を懼れずに言えば、自分が存続していくためには「仕方のない」ことなんだとも思います。

災害でも犯罪でも、危うきに近寄らず、遭ってしまったら是が非でも自分の命を護る。というお話になりました。
利他的な人間の行動を否定する訳でもありませんが、昔も今も変わらないことなのかもしれません。
そして精神的な進化の先に、もしかしたらひとは解りあえるようになるのかもしれません。
それはまた別のお話に。

最後までお読みいただきありがとうございます!