最後の学校評議員

こんにちは。

今日も激アツな荒井です。
激アツは決して嫌いではありません。寧ろ望むところです!
でもこれが、自分自身の自由意志ではなくて、所謂「やらされ仕事」だとどうにもこうにも士気が上がらないというか…

ファミレスに勤めていた時、店舗での仕事なので忙しくなるかはお客さん次第。そしてひとが足りているかどうかは従業員・募集人員次第。
それをどうにかするのが店舗マネジメントなんだけれども、ちょっと嫌気がさしてきて転職したのも事実。
当時も今もファミレスの仕事はやらされ仕事とは思っていなかったけれど、お店が上手くいかないのも店長(自分)の責任。当たり前なんだけれどそれを無理に自分に課していたようにも思えます。

子どもが学校に行くのも、学校に行かなければならない的な空気があって、その中で自ら主体的に学べることが良いとされる。

私は息子が通う中学校のPTA会長を務めさせて頂いており、PTA会長は「学校評議員」という役も回ってきます。
これは文字通り学校を評議する、学校を視察して意見を伝える役割です。
そして来年度は「学校運営協議会(コミュニティスクール)」に移行するので、今回が最後の学校運営評議会になります。

しかし年に2回の視察で判るモノなのか?という想いもあったりする。
私はPTA会長という役割上、学校には頻繁に顔を出しています。現役保護者でもあるので、他の評議員さんよりは学校に通じている?とも思ったり。

なので、今日「学校評議員」の会合があったのですが、思うところをお伝えさせて頂きました。
勿論批判ではなく、想ったこと、感じたことをそのまま伝える。

学校は子どもたちからすれば、「やらされ」の最たるもののように感じるかもしれません。
「ねばならない」という感覚と言って良いのか…
私の世代では尾崎豊さんの「卒業」という歌の中にある「早く自由になりたかった」という感覚もあったかもしれません。

勿論、時代は変わってます。先生も生徒も変わっているので私の時代の感覚は通用しません。
でも学校が型にはまる場所であることは変わらないのかもしれません。

批判でもなんでもなく、また型にはまる時期でもあるのだと思います。
この辺りが教育の難しさなのかもしれません。

今年、息子は義務教育を卒業します。私も現役PTAは卒業します。
何が出来たのか?PTAとして「やらねばならない」という感覚に囚われていたのか?
沢山考えることはありますし、これからも考え続けて微力ながらお手伝い出来ればと思っています。

息子も、私も自分の人生を生きるために、考え続けます。

最後までお読みいただきありがとうございます!