「手放す」

こんにちは。

今日は節分。我が家でも恵方巻を食べました。
節分とは、立春の前日に行われるもので、今年の立春は明日なので今日2月2日が節分。
季節の変わり目には邪気が立ち込めやすいので、祓う意味での節分。

今年の私のテーマは「手放す」ということ。
これにはいくつか意味があるのですが、先ずは手放さないとスペースが空かないので新しいことも入ってこなくなる。だから手放す。
そしていつまでも使うかどうかわからないものや事柄をいつまでも持っていても仕方がない。
また必要になってきたら手にすればいいだけの話だと思います。

勿論新しいことも始めたり手をつけたりもしていきます。その新しいことをするためにも手放すことも必要。
手放して、新しいことを始めて、必要ならばまた手放して始めて…なので正確には「循環」「試行錯誤」的なことが大切なテーマになるのだろうと思います。
その為にも先ずは「手放す」。

人間関係にも当てはまることだと思います。私は基本的に非戦主義で穏やかだと自分では思っています。
なので特定の人間関係を「手放す」ということは、何も喧嘩別れという訳ではないのです。
今はお互い関係性があっても無くても変わらないのであれば、「手放す」。必要が出てきたらまたいずれ関係性が復活するだけのことだと思います。

それを離れたことによりとやかく言われることもあろうかと思います。
ご理解頂けないのであれば致し方ないとは思います。
しかし何も今後一切連絡を取らないという訳ではないのです。機が来たらまたお話することもあろうかと思います。
だがこれがなかなかご理解頂けないところ…

私がこういう哲学的な記事を書いている時は、大体人間関係で何かあった時(笑)
アドラーさんが仰る「ひとの悩みは全て対人関係」ということですね。

「手放す」ことは私が主体的に選択する結果。他者からは色んな意味付けで見られることもあるかと思います。
それを気にしていては他者の評で生きている、つまり自分の人生を自分で生きていないということになってしまいます。

私は私の人生を生きていきます。なので今年はより主体的に「手放して」いこうと思っています。
なんてことを想いながら食べた恵方巻でした(笑)

最後までお読みいただきありがとうございます!