
こんにちは。
かれこれ32年ほど前、当時勤めていたファミリーレストラン「ジョナサン」の某市の店舗で勤務していました。
当時正社員は同じ店舗に大体1年から長くても2年在籍するのが通例でしたが、そのお店には2年半ほど在籍。
面談の時に、当時の部長に「長いな…」と言われて異動が決まりました。
一般社員から副店長(アシスタントマネージャー)に昇格した店舗でもあり、2年半も居ると愛着も湧くし、アルバイトさんとも仲良くさせて貰っていました。
異動の時には送別会もやってくれて、とっても嬉しかったのです。
色々記念品なども頂きましたが、深夜に働いていた主婦の方から頂いたのがトップページのネイティブ・アメリカンの置物です。
その主婦のかたは確かご主人さんがアメリカ人で長くアメリカに住んでいて、ご本人は日本人なんだけど、日本語より英語が得意というかたでした。
ご主人さんがネイティブ・アメリカンだったのかどうかは知りませんが、
置物の台座には「It`s a Goodday to Die」と彫られていて、直訳すると「死ぬのによい日」となります。
23歳の若造にとっては意味が解らず、失礼ながらちょっと微妙な気持ちになったのも事実です。
それから現在まで7回ほど引っ越しを経験。
引っ越しする時に荷物がどうしても多くなってしまうので、都度断捨離をしてきたのですが、この置物だけは頂きものということもあり、今でも我が家の玄関先に鎮座しています。
・It`s a Goodday to Die
調べてみたら、ネイティブ・アメリカンと長年交流を持ったある女流詩人が、彼らの死生観を詩で表現したものだそうです。
原文
Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughts have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
My fields have been turned for the last time.
My house is filled with laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.
訳文
今日は死ぬのにとてもよい日だ。
あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている。
あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。
すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。
すべての悪い考えは私から出ていってしまった。
今日は死ぬのにとてもよい日だ。
私の土地は平穏で私をとり巻いている。
私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。
わが家は笑い声で満ちている。
子どもたちが帰ってきた。
うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。
・ネイティブ・アメリカンと日本人
祖先を同じモンゴロイドに持つネイティブ・アメリカンと日本人。見た目も似ているところがあります。
自然と一緒にありのままに生きるという点や、イベントがあるたびに親戚一同が集まる。豊作を祈るための歌や祈りをささげる
なんとなく昔の日本の暮らしと共通するところがあると思います。
そんな視点で先ほどの詩を読み返すと、また一段と理解が深まるように感じます。
・死生観
ひとによってまちまちだと思います。また前述の詩も解釈は色々とあるかと思います。
荒井的所感では、
「いつ死んでも悔いなく今を生きる」
「死はそんなに悪いことではない」
と言うことだと思います。
・「いつ死んでも悔いなく今を生きる」
ひとは100%いずれこの世から退場しなければなりません。それがいつなのか?それは神のみぞ知るところ。
であれば、いつ退場することになっても悔いの無いように「今を精一杯生きる」。
最近「今」ということをよく考えます。そんな私にこの「It`s a Goodday to Die」という言葉はとってもシンクロを感じました。
そして日本人の死生観も同じようなメンタリティだと思います。
・「死はそんなに悪いことではない」
そりゃ誰でも死にたくないと思います。私もそうです。でも100%避けられないのです。
であれば「今」を精一杯生きるとともに、いずれ訪れるのであれば心安らかに迎えたい。
ちょっと宗教的な話になりますが、私は「輪廻転生」を信じています。
また以前の記事「ゼロポイント・フィールド」で少し触れましたが、宇宙全ての情報が保存される「ゼロポイント・フィールド」理論では死は存在しないという解釈。
「輪廻転生」があり、そして「死は存在しない」のであれば、今世で別れてもいつか別のカタチになろうとも出会うこともあるでしょう。
出会わなくても何処かに存在している。そう考えれば死はそんなに悪いことではないと私は考えます。
どのような気持ち、考えで置物に「It`s a Goodday to Die」とメッセージを刻んだのか。
ただ単にネイティブ・アメリカンっぽい言葉だから刻んだのかも知れません。そもそもアメリカ製なのかも解りません。
でもその言葉には、意味があり、解釈も沢山ある。
そしてひとつの解釈として
「いつ死んでも悔いなく今を生きる」
「死はそんなに悪いことではない」
と私は理解しました。
それはきっと、頂いた23歳の時にはあまり必要の無い言葉であり、
思い返したように置物を見つめた、今の私に必要な解釈なんだと思います。
みなさんはどのように感じられました?
感想教えて頂けると嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます!