こんにちは。
今日は毎年恒例の自宅近くの「加茂神社」へご挨拶。それから結婚式を挙げた「検見川神社」への初詣からの、「インド料理シタール」で食事で満たされた荒井です。
ちょうど昨年の初詣に行った1月14日の記事「参拝」に書いてある通り、神社へはお願いではなくご挨拶とお礼に伺うのが荒井家流です。
検見川神社に願掛けされていた絵馬には「〇〇大学合格出来ますように!」などという沢山の願いがかけてありました。
その中で目を引いたのが「千葉県立〇〇高校合格します!」という言葉でした。
予祝的に言うならば「合格しました!ありがとうございます!」なのかもしれないけど、それだと昨年合格したお礼になってしまうので(それはそれで必要なんだと思いますが)、「合格します!」が正しいのかもしれません。
そしてその決意の表明がいっそ清々しいと感じた。しかもその高校は千葉県の公立学校の最高峰の学校。やっぱり受験するひとも捉え方が違うのかな、とか思った。
かく言う我が家の息子も今年受験生なので、合格祈願のお守りを購入。学問の神さまである菅原道真公にもお参りしてきました。
・神頼み
困った時の神頼みって決して悪いことではないと思います。
だけど神さまが実在しているとしても、個人の都合などは考慮する存在では無いのだろうとも思います。だって願い事を全て聞いていたらきりが無いし、色々世の中の辻褄も合わなくなってくるでしょう。
なので神さまは見守るだけ。
今までの行動の結果が「今」を作っているだけ。
そして思うような結果を得られないのも、そのような行動をしているだけなのでしょう。
自分では気が付かない「そのような行動」が結構あると思います。他者から見れば「そりゃそうなるわな」ってことでも本人にはなかなか気が付かないものなのだろう。
セミナーやコーチング、コンサルティングを受けて気が付くこともあると思います。だけどそれだけで終わってしまうことも多いのが事実。だからいまだに怪しい自称コンサルタントが多いのです。
孫子の兵法書にある「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」という有名な一節。他者を知ることは理解しやすいのですが、思っているほど自分は自分を知らない。
「俺らしい」って案外、他者から見たら的外れな場合もあったりする。
今年始めの気付きは、今更ですが「己を知る」ということ。
先ずは身近なひとに聞きまくってみよう。
最後までお読みいただきありがとうございます!