
こんにちは。
日曜日はすっかりお休みモードの荒井です。
しかし今日はアポイントが入ったので、ちょっとだけお仕事。
若い夫婦から生命保険の相談を頂きお話をしてきたのですが、もうすぐ2人目が産まれるとのこと。ホントおめでたいことです!
子どもがこれから成長していくにあたって、子育て的な会話をしたのですが、我が子の時のことをお話してついつい先輩面してしまった…
いや、子育ても人生も先輩であることには違いないのですし、経験を伝えて何かの役にたてばそれはそれでいいとは思います。
だけど、そんな気はなくても「マウント」を取ったような話の流れになったりするのが嫌ですね。
今回の面談ではそのようなことは無いと思ってはいますが、相手がどう感じているのかは判りません。
また特に仕事で先輩から現場でモノを教わることもあるかと思います。大手の企業ではマニュアル化されていて、手順などは決まっているのでしょうけれど、それでも現場で教わることが多いと思います。
そんな時にマウントを取られるのは仕方がないとは思いますが、言ってることが前後で違ったり、そもそも間違っていたりすることもあるかと思います。人間だもの。
その間違いを訂正してくれればいいのですが、認めないひともいる訳です。残念ながら実体験でもそういった人は居ます。
単純に誤りを認めればいいだけなのにそれが出来ない。誤りを認めるのは負けとでも思っているのか、言い訳やごまかし、更には「そんなこと言ってない」とまで言い出す人もいるのです。
逆に、パワハラなどもそうらしいのですが、被害者がそう感じたらパワハラ認定されるってこともある。
要はコミュニケ―ションが足りていないということなんだろうけど、「ひとは解りあえない」という視点で考えると納得しやすい気もします(あきらめとも言えるかもしれないけれど)
言葉というのは、コミュニケーションを図るためにとっても有効なツールなんだけれど、言葉が発達した背景は、きっとひとが解りあえないからという部分も大きいかなと思う。
鳴き声で動物もコミュニケーションを取るのだろうけれど、細かいことは伝わらない。
人間は発達した過程で取るべきコミュニケーションが増えていったので、それを伝えることが出来る言葉(言語)が発達していったのであろう。
ちょっと横道に逸れたけれど、ひとは解りあえない。だからこそ言葉を尽くす。ということなんだろう。
言葉で仕事をしている私にはとっても学びになった振り返りでした。
最後までお読みいただきありがとうございます!