こんにちは。
今日は一週遅れて初詣に行ってきました。いつものコースで先ずは自宅近くの土地神さまにご挨拶。
その後は結婚式でお世話になった検見川神社 に行きました。毎年恒例のコースです。
因みに神社では「お願い」はしません。神頼みが悪いという訳ではありませんが、神さまもいちいち人の「お願い」を聞いてくれる訳ではないと思っているからです。
因みに私は特定の宗教を信仰しているという訳ではありません。なのでここからは私の独断と偏見による考えなので気になさるかたはスルーしてくださいね。
信仰している宗教は無いと言いましたが、神さまは「存在している」と考えています。ただそれはひとのかたちをしているのか、ひととお話するのか、全くもって判りませんしそういった存在ではないと思っています。
では「存在」している神さまは何をしているのか?以前の記事でも少し触れましたが、「見守っている」だけなのだと思います。
逆に考えてみて、自分がある世界の神さまだとしてその世界の生物の個体単位の願い全てを聞き入れることは出来るでしょうか?何処かで齟齬とか矛盾が出てきてしまうと思います。
もしかしたら万能の神というのはそういった矛盾すら超越するのかもしれませんが「願いが神頼みだけで叶う世界」って何処かおかしいですよね?
引用ですが、そもそも「祈り」とは「意」と「宣り」で「意宣り」と書き「意のままに沿う」という意味だそうです。「仰せのままに、望むように生きています。ありがとうございます」と神さまに「祈る」のです。そう「ありがとうございます」なのですね。
日々が有り難い。そのことを神さまに感謝することが参拝の意味だと考えています。
日々生きていることに、楽しく暮らせていることに、こうしてブログに想いを綴れることに「ありがとうございます」なんですね。
なので神社では「おかげさまです。ありがとうございます」と祈っています。
加えて多分神さまは私のことは認識していません。なので自分の住所、氏名を添えてお礼を伝えています。考えてみれば所在と氏名を明らかにするというのは当たり前ですよね。神さまだから私を誰だか判ってるという考えは何処か傲慢に感じます(別に認識してもらって特別扱いしてもらおうなんて考えていませんよ、多分 笑)
検見川神社はちょっと距離がありますけど、土地神さま(自分の住んでいるところの近くの神社)は歩いて5分程度。ここのところ欠かしていましたが改めて習慣化して毎月感謝しに行こうと思います。
ここで宣言しておくことは私にとって重要なのです。「あれ?ブログに書いたよね?」と言われる可能性があるからです(笑)
最後までお読みいただきありがとうございます。