こんにちは。
大正9年の8月10日に日本で最初の近代的道路整備計画となる「第一次道路改良計画」がスタートしたことから、8月10日は「道の日」となっています。
道路の道であり、茶道や書道の道ではありません。念のため。
道というと日頃使っている交通手段が連想されると思います。私の場合はクルマで移動することが多いので、道=クルマの通る道 となります。
で、以前知人のFacebook投稿を拝見して妙に納得したことがあります。クルマに乗って目的地に向かっているのではなくて、クルマに乗ってアクセル踏むだけで目的地が自分のほうにやってくる?という感覚です。
勿論風景も変わりますし道路事情に合わせてハンドルやアクセル・ブレーキを操作しますが、ドライブシミュレーター感覚というのですかね?自分が動いているのではなく、画面が動いて目的地から近づいてくる。という感覚。
元々、クルマを「眺める」「いじる」「運転する」ことが私は好きです。そして運転してもさほど疲れることはありません(眠くはなりますが…)
これって運転好きなんだからだと思っていたのですが、知人の投稿を見てとても共感しました。
確かに安全運転を旨としています。当然です。その上で景色を楽しんだりもしますし、無茶な割込みをされればそりゃ頭に来ます。
だけどそれすらただのイベントです。淡々と運転をしていれば目的地に到着するのです。
この感覚は説明しづらいのですが、何が言いたいのかというと「何ごとも捉え方しだい」という言わば陽転思考的なことです。
急いでいる時、渋滞に巻き込まれるのは嫌ですよね。でも仕方ないのでイライラするだけ無駄だし大事な用事があるんだったらそもそも早めに出発すればいい。それでも渋滞に巻き込まれたのならそれは「あまり急ぐな」と言われているのだと思って開き直る(笑)
無茶な割込みをされたのであれば、譲るべきだったのかもしれない。いや危険を感じたら離れようと教えてくれているのかもしれません。
人間が他の動物より劣っている点は多分こういった「起こったこと」を受け入れられるかどうかという点だと思います。
そして「起こったこと」にひとは意味付けをしたがるのですが、その意味付けを肯定的な表現に変えていく。しかもとことん変えていく。
ネガティブな感情や言葉が出てしまったら「なんちゃって」と他人も自分もごまかす(笑)いや、「なんちゃって」でリセットする。
そして肯定的な意味付けを探す。見当たらなければ「肯定的な意味が見当たらないことを教えてくれてありがとう!」で終了(笑)
そうしていくと自然と言葉も行動も肯定的になってくると思います。
ひとの陰口を叩いたり、自分なんて…などと自分を下げてしまったりするより人生楽しくなると思いますよ。
まとめると
・起こってしまったことを受け入れて、意味付けするなら肯定的な意味付けをする。
・つい悪態をついてしまったら「なんちゃって」と呟いてリセットする。
道の日から陽転思考のお話になりましたが、帰省の時期です。おクルマで移動されるかたはどうぞご安全に。そうでないかたもどうぞご安全に。
それと地震には気をつけましょうね。
最後までお読み頂きありがとうございます!