こんにちは。
79年前の8月9日(木曜日)AM11時2分、アメリカの戦略爆撃機B29「ボックス・カー」により史上2度目の実戦で使われた核兵器である「ファットマン」と呼ばれる原子力爆弾が長崎に投下されました。
当時の長崎市の人口およそ24万人のうち約7万4千人が死亡。建物の36%に被害が出ました。
改めて被害に遭われたかたがたに心より哀悼の誠を捧げます。
・第一目標は小倉市であった
小倉市(現在の北九州市)が第一目標であり、実際に出撃した6機のB29は小倉市上空まで進出していました。
当時の原子力爆弾投下は目標である市街地を目視してからの爆撃と決まっていたようですが、小倉市は朝霧がかかっており、また前日アメリカが行った八幡市空襲(小倉市から7キロほど離れていた)の残煙があり、更に広島原爆投下から少数のB29が襲来した時への対応として八幡製鉄所ではコールタールを燃やして煙幕を張った。
更に日本軍の高射砲の対空砲撃も激しくなり、更に迎撃として5式戦闘機や零式戦闘機も緊急離陸。3回爆撃航程を行うも目標を視認出来ず、天候も悪化したので目標を第二の長崎に変更したということです。
一歩間違っていたら小倉市(現北九州市)に原子爆弾が落ちたのですね…
・長崎への投下
長崎市上空にB29爆撃隊が到着した時には雲も多く目標視認が出来なかったのであるが、少しの間雲の切れ目が出来て市街地が視認出来た。目標地点より少しズレてはいたが投下となってしまった。
長崎市も勿論広島原爆の教訓をもとに避難命令の検討をしていたのだが間に合わなかったのです。
・リトルボーイとファットマン
広島に落とされた原子爆弾「リトルボーイ」はガンバレル方式という核兵器としては非効率的な起爆方法だった(それでもとんでもない被害が出ましたが…)
対して長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」はプルトニウム爆縮型で「リトルボーイ」とはくらべものにならないくらい強力な原子力爆弾でした。
しかし起伏や山地の多い長崎では爆風や放射線の影が出来て、また目標から若干それたこともありそれでも被害は甚大ではあるが、起伏の少ない小倉市に落とされていたら、広島をはるかに上回る被害が出ていたとされます。
だから長崎で良かったとか言ってる訳ではありません。念のため。ただ歴史とはそういった「あや」で変わってしまうのだと思いました。
そう、広島の記事でも書きましたが、もう少し早くポツダム宣言を受諾していればとか、いやミッドウェイの時点で講和に動いていればとか、そもそもアメリカに戦いを挑んでも勝てるわけがないから妥協すべきとか、言っても詮無いことなのですが思うところはみなあったことと思います。
人類は発明したものを必ず使うとは誰が言ったかわかりませんが、歴史上その通りだと思います。
核兵器は残念ながら日本に2度も使われてしまいました。犠牲になられたかたがたには改めてご冥福をお祈り申し上げます。
その上で、79年前の今日に使われてしまった核兵器。2024年時点で最後に使われた核兵器ですが、これを最後と祈らずにはいられません。
ただ世界は各国の「国益」とかで動いています。何処かの核保有国が「核兵器を使用することが国益に適う」などと判断してしまったら…
今も人類の叡智と理性が試されているように思います。
最後までお読み頂きありがとうございます!