気にしない

こんにちは。

以前は普通にお話出来ていたご近所のひとに普通にご挨拶したら若干無視されたのでもう一度ご挨拶してみた荒井です。
嫌われるようなことした記憶は無いのですが、何か気が付かないことで気分を害してしまったのでしょうか。
ちょっと悲しいですね…

以前の私はこういったことがあると気になって仕方なくて、理由を聞くことが多かったです。
しかし最近は「気にしない」ことが多くなりました。

・理由を聞くことの良し悪し
自分の気が付かないところで相手に何かしてしまっていたのならそれは聞くべきなのだろうと思います。
しかし理由を聞いたところでちゃんとお話してくれるとは限りません。また理由はお話したくないのかも知れません。
以前の私でしたら気になって気になって仕方なく、また相手に何かしでかしたのなら謝ることは吝かではなかったのですが、それももしかしたら自己満足になるのかもしれません。

・「気にしない」の意味
基本的にひとは解りあえないと思っています。なので理由を聞いても解りあえないこともあるかもしれません。
毎日職場で会うひとや近しいひとが急によそよそしくなったのならばそれは聞くべきでしょう。
それが家族ならば当然だと思います。
しかしご近所さんという微妙に近しくないひとで特段実害も無いので、それは「気にしない」という結論になりました。
別に悪い意味とかではなく、「気にしない」。
気になったことを明らかにする労力と時間、明らかにしない場合の不利益を考えると「気にしない」という選択肢はアリだと思います。
別にドライだとか、冷たい人間とかそういう意味ではなく相手を慮っての「気にしない」ということです。

関係性と関与の度合いなどの相関を考えてまとめてみるのも面白いのかもしれない。
けど今回のケースは「気にしない」ということでいいと思います。

きっとこれからも顔合わせれば挨拶はすると思います。そのたびに若干無視されると思います。それも「気にしない」
何か言ってくればそれはそれでお話することは吝かではないのですがその可能性は低いと思うので「気にしない」
まぁこんな記事にしているくらいだから内心は「気にしている」のでしょうけどね(笑)

人生は思ったより長くは無いのかも知れません。
リソースは自分自身に割くべきなのだと思います。

最後までお読み頂きありがとうございます!