不老不死

こんにちは。

老眼鏡が手放せなくなってしまった荒井です。居間、寝室、クルマの中、職場のデスク、ジャケットの内ポケットと必要であろうところに常備しています。
元々視力は良かったんですよ。20代は2.0、今でも裸眼で1.0はあると思います。まぁ視力が良いひとほど老眼になりやすいとも聞きます。

走力や体力も年相応に落ちてきています。そりゃ仕方ないですよね。
で、ふと思ったんです。「不老不死だったらどうなんだろう」と(笑)

・不老不死とは
読んで字のごとく「不老」=「老いることが無い」「不死」=「死なない」ということです。
「不老」といっても0歳で「不老」だとそれはそれでひとりでは何も出来ないと思うし、80歳くらいから不老でもどうなんだろうと思う…
「不死」は病気では死なないけど怪我や事故で身体的に大きなダメージがあったら死んでしまう「不死」と、病気でも怪我でも死なない「不死」でもそうなると「不死」というより「不死身」になってしまうので、
「不老不死」は身体的年齢は20代から30代程度で病気では死なないとします。

ギリシャ神話や北欧神話で出てくる不老不死の種族や、秦の始皇帝が探させた不老不死の薬、日本では竹取物語に不老不死の薬が出てきたりと、昔から人類の夢だったようです。

確かにこれからどれくらい人類が発展するのか?宇宙、他の恒星系まで行ける日がくるのか?自分の目で見てみたいとは思いますので、そういう意味では「不老不死」に憧れるのは理解出来ます。
しかし身体的に20代から30代と一番動ける身体であって病気の心配もない。事故や怪我に気を付けさえすればずっと生きていられるって、きっと飽きてしまうと思うんですよね。

飽きるだけならまだしも、きっと何もしない、成長に繋がることはしなくなると思います。
だって不老不死なら精神的に成長しなくても生きていられるし、病気の心配もないから身体を気遣う必要も薄れていく。
そして時間だけはあるから今日やろうと思ったことを明日に回しても何も問題ないし、100年後に後回しにしてもそれだけの時間はたっぷりある。なので結局何もしなくなると思います。

それって有限の寿命の我々から見たら死んでるのと大して変わりませんよね?だって何もしなくてもいいのですから。
そう、ひとはいずれ死ぬから今を生きるのです。

それでも男性で82歳くらいまで日本人の平均寿命はあります。日数でいうとおよそ30,000日。
それだけあるのか、それしかないのか。不老不死とは比較にならないけどだからこそ毎日を大切にしなければならないのだろう。

有限の命だからこそ今日この瞬間を精一杯生きる。当たり前の発想なのだろうけどつい無駄にしてしまう一日も確かにあったりします。
成功とか失敗では括りたくないけど、世に知られるひとたちは一日、ひいては時間の使い方をちゃんと出来るのであろう。なぜなら時間はみなに平等にあり平等に流れていくのだから。

でも、ああ今日も一日無駄にしてしまったと思う必要はありません。それに気付けた一日だった訳ですから。
有限の命だからこそ「今を生きる」「今にフォーカスする」
やっぱり「不老不死」じゃないほうが良いですね。そう考えると老眼鏡が手放せなくなってきた自分が誇らしい(笑)

あなたの今日は楽しかったですか?

最後までお読み頂きありがとうございます!