こんにちは。
当ブログのタイトルは「荒井の大佐通信」です。これは長い自己紹介にもあるように
小学生の時のあだ名が「ヘルメット大佐」(頭がデカいから)ということに由来しています。
軽度のミリオタでもありますが決して戦争容認という訳ではなく寧ろ戦争反対派です。
とはいえ憲法九条は改正すべきと考えてはいます。
タイトルと書きだしでお察しの通り、今から82年前の1941年12月8日に
「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号で知られる真珠湾攻撃があり太平洋戦争が始まりました。
厳密に言うと陸軍が行ったマレー半島上陸作戦のほうが真珠湾攻撃より早いので始まりの戦闘はマレー作戦ではあります。
12月8日は「太平洋戦争開戦記念日」と言われています。
戦争は避けられたはずであったとか、寧ろアメリカのほうが戦争したがっていたとか、今更なお話は沢山あると思います。それは別の機会にまたお話するとして、今回のテーマは「知識と経験」です。
近代史や書籍、インターネットの情報などでどういった経緯で戦争が起こったのかとか、各戦闘の推移、残念ながら犠牲者がどのくらい出てしまったのかなど簡単に調べることが出来ます。
勿論そういった情報からも太平洋戦争の悲惨さ、戦争は人を不幸にするということを頭で理解は出来ると思います。
しかしやはり経験してきた方々のお話ほど説得力や臨場感に勝る訳ではありません。
1970年産まれの私が小学5年・6年生の時の担任の先生が戦時中から教師を務めていたという方でした。
6年生で卒業時に定年退職されたので戦時中は20歳代といったところでしょうか。
私の出身は千葉市中央区蘇我町で小学校は蘇我小学校でした。その時の先生は偶然か必然か戦時中にも蘇我小学校にいらっしゃったそうでよく当時のお話をしてくれました。
千葉駅まで児童を連れて歩いて兵隊さんを見送りに行ったとか、職員室が機銃掃射で火事になりかけたとか。経験者の生のお話を聞くことが出来たのは今思えば貴重な体験でしたね。
厳しいけどとっても良い先生でした。
計算すると私が小学5年生の時は1982年。高度経済成長がひと段落した時期でしょうか。終戦から37年ほど経過した時期ですね。
37年ってそれなりに長いと思いますが、今を基準に考えると今年は2023年なので37年前は1986年です。私は高校生でしたね。
1986年の主な出来事は
・スペースシャトル チャレンジャー号爆発事故
・チェルノブイリ原発爆発事故
・ハレー彗星最接近
流行った歌謡曲は
・石井明美「CHA-CHA-CHA」
・中森明菜「DESIRE -情熱-」
・少年隊「仮面舞踏会」
・渡辺美里「My Revolution」
・ハウンド・ドッグ「ff(フォルティシモ)」
・TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」
なんだか懐かしいですが、確かに37年前のことはしっかり覚えていますね。
その年数感覚で太平洋戦争を語ることが出来て、それを直接聞けることが出来た時代だったんですね。
確かに戦争を直接経験してこられた方々は年々減っていく一方です。悲しいけどいずれ居なくなってしまいます。
記録ではなく記憶、聞いた話で間接的だったとしても語り継いでいく必要がありますね。
不謹慎かもしれませんが、録音とライブの関係に近いのかもしれません。
CDや配信サービスで音楽を聴くのは録音ですね。対してライブ会場で体感するのは実経験です。
別にどちらが良いという訳ではありませんが、やはり自分で経験・体験するほうが感動も大きいと思います。
そういった意味では、確かにインターネットの発達で配信や動画などでいつでもどこでも視聴出来るようになりました。
でもライブはその時しかありません。同じアーティストでも毎回全く同じことはありえず言わば一期一会なのです。
配信サービスや動画などが適したコンテンツもあると思います。
その上でライブだからこその価値もあると思います。
我々保険営業の仕事もライブに近いものがあります。ここを磨いていくことがこれからもっと大切になっていくのかもしれませんね。
最後になりましたが太平洋戦争のみならず、過去に起こってしまった全ての戦争で犠牲になられた方々、今まさに起こっている戦争・紛争で犠牲になられた全ての方々に哀悼の意を捧げます。
最後までお読みいただきありがとうございます。