個性を見留める

こんにちは。

1946年の今日4月27日に、初めて婦人警官(現在では女性警察官)62名が勤務につきました。
当時は主に事務仕事だったようで、逮捕権も持たなかったようです。
現在女性警察官は17,700名もいるそうで割合は全体の6.8%。多いと見るべきか、少ないと見るべきか…

※ここから先は女性蔑視とかそういうことではありません。
女性も男性と同じ仕事が出来るということは間違っていないと思います。いや、それ以上に女性ならではの視点などで、内容によっては男性よりよっぽど仕事が出来る場合もあるでしょう。

いまだに男尊女卑的な考えを持ったひとも組織もあるのも事実です。私も無意識下ではもしかしたらあるかもしれません。
また、男性だから女性だからというのは、確実にあると思います。
しかし同じ男性同士でも向き不向きもありますよね?そう考えると性差も「個性」なのだと思います。

個性とは「他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性」とあります。
つまり性差というのは大元の個性と捉えればいいだけで、その上でそのひとなりの個性が出来上がっていくのだと思います。

風の時代は「個の時代」と言われています。インターネットSNSなどは個人だらけです。
LGBTQのお話もそうなんですが、個性を「見留める」ことをしていくこと。これからの世の中はもっと必要になってくるのだろうと思います。

以前の記事「みとめるということ」でも書きましたが、自分と違うひとを認めがたいというところはあるかと思います。
また残念ながら話の通じない(聴かない)ひとも一定数います。また理解し難い(理解し合えない)ひともこれまた一定数います。これは合わないのだから仕方がないのです。
でもそういったひとたちも「見留める」視界の隅に「ああ、いるんだな」と見留めること。ただそれだけです。

ひとは意思や考えを言葉を用いて伝え合うことが出来る生き物です。言葉は細かな情報まで伝えることのできるとっても便利なものです。
でも分かり合えないというのは、もしかしたらその言葉の機能の限界なのかもしれません。
世界一難しいとされて語彙の豊富な日本語でさえ、キチンと相手に伝わらないことがあります。

だからそういったひとと出会ってしまったら、人類の意思疎通の限界だと思って「見留め」てあげるだけ。

でもね、自分に害のない範囲であればそういった自分と違うひとたちを観察することはとっても勉強になると思いますよ。
だって自分とは違う視点や考えでお話する訳ですからね。
それが有用かどうかはまた別の話。何にでも学びはあるのです。

因みに「学び」とは「真似び」が語源と言われています。勿論自分と分かり合えないひとを真似てもしょうがないですよね(笑)
なので「学び」には「真似び」と「真似ず」の2つの意味があるのかも知れません(大真面目 笑)

最後までお読みいただきありがとうございます!