ただただ「生きる」

こんにちは。

気が付けば例の7月5日も大したこともなく無事過ぎていきました。
想い起せば1999年7月の「ノストラダムスの大予言」の時も、何ごとも無かった。

このようなことには沢山言いたいこともあるけれど、私が想うことは「ただただ生きるだけ」というお話。

1999年7月も、今年の7月も、世界が終わる的な予言であったことと思います。
ゲームのリセットじゃないんだから、そうそう都合良くも悪くも世界は終わらない。
ただ「こうだったら良いな、悪いな」という想いが漂っているだけ。
引き寄せ的に言えば「そう願っている、または恐れている状況が実現した」だけなのだと思う。

勿論、例えば地球に小惑星が衝突する確率はゼロじゃないし、巨大災害が起こる確率もゼロじゃない。
愚かにも人類は自らを滅ぼす手段を得てしまい、それが使われエスカレートする可能性もゼロじゃない。

例えそういう状況になったとして、人類が滅亡したとして、最悪地球が消滅したとしても、宇宙に流れる時間はただただ流れていく。
そういう意味での明日は来る。
それこそ宇宙全体が終了するようなことが起きたら、きっと我々は知覚すら出来ないのであろう。

不安を煽るのも良くないし、かと言って出来る範囲での備えをすることは大切だと思う。
とは言え備えを超える事態に陥ってしまったら、それはもう諦めるか見守るしかない。
そしてそれでも生きていかなければならない。

更には、予言・予知という未来を知る術はもしかしたらあるのかもしれない。
けれども知ってしまったらそれは未来じゃないような気がする。だから未来は変わってしまうという考えには一理あるようにも思う。

今、手の届く範囲を、精一杯生きる。
これしかないし、これこそ我々の生きる日常なんだと思う。

そう考えれば、多少の戯言も可愛く思えません?

最後までお読みいただきありがとうございます!