こんにちは。
澄んだ湖や川の岸辺、磯辺やタイドプール(潮だまり)などずっと見てられるってことありません?
この「水辺を見ていられる現象」ってなんですかね?一つ間違えるとトンデモ学説になりかねない人類は一時期水辺で暮らしていたというアクア説というものがありますが、水辺に行くとなんだか解るような気がしてきます。てか私だけなのでしょうか?(笑)
まぁこのアクア説だけでもひと記事書けますが、題名の通り1971年の今日2月2日は、生物多様性保全を目的とした条約としては一番最初に採択された「ラムサール条約」が採択された日です。
1971年と言えば私はちょうど生後1歳。勿論当時のことは全く覚えていません(笑)因みに環境庁(現在の環境省)が設置されたのも1971年です。
なんとなく聞いた事があるラムサール条約について先ずは少しおさらいしておきます。
・ラムサール条約の目的
ラムサール条約は通称で正式名称は日本語で「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」と言います。イランのラムサールの地で採択されたのでラムサール条約が通称になっています。
簡単に言うと湿地を守りましょうということなのですが、
その湿地(ウェットランド)とは湿原や干潟、湖沼など天然人工問わず、一時的に水をかぶるような場所、水が流れていても滞っていても、海水淡水問わず、水深6メートルを超えない程度のところと、とっても広く定義されています。なのでダム湖や農業用水路、なんと水田までもが湿地とされています。
国境を越えて移動する渡り鳥の保護を主眼に置いているため渡り鳥の繁殖地などを保護する目的ですね。
・ラムサール条約の3つの柱
1:保全・再生
湿地の様々な生態系が果たす役割というのは多岐に渡りまた人類の暮らしを支える重要な資源でもあるので保全・再生が謳われている。
2:ワイズユース(wise use)
湿原を保全する必要がある一方、湿原とともに暮らす人たちの生活も保全しなくてまなりません。ワイズユース=賢い利用の通り湿原から得られる恵みを持続可能な活用をしていくことが必要。
3:交流・学習
交流・学習を通して湿原の保全・再生・ワイズユースを促進していく
1970年代と言えば高度成長期がひと段落したあたりで、それに伴い公害問題が多発してきた時代であると認識しています。
私が小さい頃は「光化学スモッグ注意報」がしょっちゅう発令されていました。最近はごく稀になったようですが当時は外にいる場合は屋内へ避難しましょうと言われていました。
環境問題は当時から言われていたので1971年当時にラムサール条約が採択されたのは必然なのでしょう。
しかし私が「すげーな」と思うのは1971年に既に「再生」と「ワイズユース」を謳っていたという点。
環境問題というと「保護」とか「保全」に目が向きがちなのですが、既に失ってしまった環境を「再生」することも必要になってくると思います。
ひとの手が入った自然は自然じゃないという自然環境原理主義者(そんなひといるのか? 笑)にしてみれば再生された自然は自然じゃないのかもですが、
ひとは太古の昔から自然を利用して生活してきました。日本の里山と呼ばれる地域が典型的な利用例ですね。
語弊があるかもですが、人間にとって住みやすい自然とは人間にとって都合のいい自然なのです。
いくら人間に都合がよい自然でも永続的に利用出来なければ環境破壊と同じです。そういった意味での「ワイズユース」なのですね。
これは2015年に国連の持続可能な開発サミットで採択され、今や合言葉のようになっている「SDGs」と同じ考え方ですね。
時代を先取りしていたというより人間に都合いい自然を残そうとするならこういった「持続可能な開発」と定義しなければならないのでしょう。
「SDGs」に関してはどうにも政治くさいところがあるので個人的には「?」と思うところもありますが、理念や謳っていることは全く同意ですので誤解のないよう。
環境の話題では例えばレジ袋を有料化して減らしたとしてもマイクロプラスチックは減らないとかいろんなご意見もあるかと思います。
確かに科学的な裏付けが無い活動は問題ですが、レジ袋を有料化することによる環境への負荷軽減も確かにある筈と思うし警鐘としてメッセージになったと思います。
検証は勿論必要ですが、先ずはやってみる。それにより問題提起されるのはいいことだと思います。
そして我々個人レベルでも出来ることは沢山あります。例えば我が家では食器洗いに使うスポンジをセルロース製のスポンジに変えました。使い心地にやっと慣れてきましたが(笑)
結局のところ環境問題は個人それぞれみんなが手の届く範囲で先ずは取り組んでいくことなんだなぁと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。