平和の祭典

こんにちは。

パリオリンピック開幕しましたね。この時期にはにわかファンやにわか評論家が増えます。かく言う私もそうなんですが(笑)
普段見ないような競技もテレビ中継などで見ると解説も相まってつい見入ってしまいます。

近代オリンピックの父と言われる「ピエール・ド・クーベルタン」さん。近代オリンピックを提唱し1896年のアテネオリンピック開催を果たした中心のひとです。
五輪の旗を考案したかたでもあり、五輪の旗は五大陸を意味していて五色と下地の白の色の組み合わせで世界中の国旗を表現出来るという意味も込められていると言います。

「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」(JOCサイトから抜粋)というオリンピックのあるべき姿(オリンピニズム)を提唱しました。
1890年代と言えば日清戦争やハワイ王国がアメリカに編入されたりと、今の基準でみると力の強い国が覇権を競う時代、帝国主義の時代にとても画期的な提唱をしたのです。
その後、二度の世界大戦での中断や、東西冷戦でのボイコット問題、オリンピック休戦と言われるオリンピック開催時期には戦争・戦闘をしないという理念も破られ未だに続くウクライナとロシアの戦争、イスラエルとパレスチナの紛争など、オリンピック理念とはかけ離れてしまっていますが、それでもオリンピックは「平和の祭典」と言われているのはクーベルタンさんの理念によるところだと思います。

綺麗ごとだけではどうにもならないことがあります。だけど理念は綺麗ごとではなくてはならないと思います。

「愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである」
星の王子さまの作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリさんの有名な言葉です。とても素晴らしい言葉ですね。
国も、ひとも、地域も、組織も、やはり「愛」が必要なんだなと思います。

存在として全く同じ「ひと」は居ません。それぞれ個別に存在しているのです。以前の記事にも書きましたが、だからこそひとは解りあえないのです。これは仕方ないと思います。
でも同じ方向を見つめることは出来るのです。そしてその方向は綺麗ごとだけで良いのだと思います。

平和を願うオリンピックの精神。そして平和は人類共通の願いでもある筈です。
私は争いの当事者ではないし、争いごとで消えない憎しみも世の中にあるのは解ります。絶対的な悪意もあるのも解ります。
だけど平和という同じ方向を共に見つめることが出来れば…世界はもっと良くなると思います。

違いを見留めて、それでも同じ理念を共有する。SDGsやLGBTQなど最近世の中で言われていることもその一環かも知れない。勿論裏もあろうかと思うけど、それでも理念は綺麗ごとで良いと思うし、そう思えるひとや機会が増えてきたのはいい傾向だと思う。

世の中少しずつ良くなっていると思いたいですね。

最後までお読み頂きありがとうございます!