二十歳

こんにちは。

タイトルは私ではありません(笑)
居住する千葉県市原市では成人の日である1月8日の前日に以前で言う「成人式」、今は「二十歳の集い」と名前を変えて地区ごとに式典が行われます。

私は二十歳の集い実行委員としてお手伝いさせて頂きました。担当する国分寺台地区は市役所のおひざ元であり市民会館を会場とし市長と始めとした来賓の方が来られました。

2022年4月1日に施行された民法改正法により成人の年齢が18歳に引き下げられました。
これにより例えばアパートを借りたり、審査はありますがクレジットカードを作ったりする各種の契約を自分の意思で出来るようになります。また厳密に言うと根拠法が違うのですが、選挙にも投票出来るようにもなりました。
つまり「大人」と呼ばれる年齢になったのです。しかし飲酒や喫煙、競馬の馬券購入などは二十歳からとちょっとややこしいですね。個人的には全部揃えればいいと思ってはいます。

話は変わりましてこれは私の仮説なのですが、ご存知の通り昔に比べて寿命が飛躍的に伸びました。
厚生労働省のデータでは1955年の平均寿命は男性で63.6歳、女性で67.75歳。2019年では男性81.41歳、女性が87.45歳。それぞれおよそ20歳くらいは伸びているのです。(注:日本の話です)
平均寿命が伸びたことは嬉しいのですが、出生率が下がっていく一方なので人口は減っていくので高齢化がどんどん進んでいってるのですがそれは別に話すとして、
私の仮説は「寿命が伸びた分、各期も伸びているのではないか。または各期の長さが変わっているのではないか」というものです。

男性の平均寿命が63歳の頃では60歳を超えると老年期と呼ばれる時期だったと思います。因みに1955年当時は会社員の定年は55歳が一般的でした。
しかし現在では60歳はまだまだ若いですよね?私の周りの人で60歳くらいの人はまだまだ若々しいです。定年も65歳まで延長されてきています。
同じように(私が勝手に分類してみましたが)幼年期、少年期、青年期、壮年期、中年期、熟年期、老年期とそれぞれの期間が長くなっているように感じます。

昔より子どもの成熟が遅い、今の子は甘やかされているから親離れが遅いとも言われています。一面では正しい見方なのかもしれませんが、実は平均寿命が急激に伸びたからとも言えるかもしれません。
だって1955年って69年前、個人の感覚では昔ですが人間の進化の尺度ではたった69年です。短い期間に急激に平均寿命が伸びそれに対応すべく人間も変化しつつあるけど追いついていない。
社会制度に至っては全く対応出来ていない。そういった問題もあると思います。

また各期が一律に伸びたのではなく、幼年期はあまり変わらない、少年期と青年期は少し伸びて壮年期と中年期と熟年期がかなり伸びた。結果老年期は後ろに下がって70歳から80歳くらいになったように感じます。

身体的にもかなり変わってきています。男子中学2年生を例に平均身長を比べると1955年当時で151.7センチだったのが、2015年で165.1センチとなんとおよそ14センチも伸びているのです。
これは栄養状態の改善が大きいと思いますが、これだけ身体的に変化しても精神的には追いつけていないように思います。

更に身体的に言うと、寿命は伸びているのですが女性の出産可能な年齢層はあまり変わっていない。よって晩産化が進んでいるというのは当然とも言え結果的に出生率が下がるのは致し方ないように思います。

いつまでも長生きするというのはまこと理想的だと思いますし私もそうありたいと思います。
身体的に変化してきていることに急激すぎるのか人間の精神的に対応しきれていない。そして社会構造自体がまだまだ追いついていない。
土の時代から風の時代に変わったと言われていますが、まだまだ変化に対応出来ていないのでしょうね。
「二十歳の集い」のお手伝いをさせて頂きそう想うそろそろ熟年期に入ろうとしている荒井でした(笑)
キーワードは「変化」ですね。

最後までお読みいただきありがとうございます。