こんにちは。
タイトルとトップ画像がマッチしてない詐欺です(笑)
1983年4月15日、ご存知「夢の国」と言われる「東京ディズニーランド」が開園した日です。
年間来場者がおよそ1,800万人(!)で日本ではトップ。世界でも第三位に位置する、言わずと知れた日本を代表するテーマパークです。
開園当時、私は中学1年生で「おお、なんだかすげーのが出来たらしい」という認識(どんな認識だよ)でした。
ファンのかたには申し訳ないのですが、私は当時(今でも)さほど興味がなく、初めてディズニーランドに行ったのは28歳の頃で「開園15周年記念」が開催されていました(笑)
小学生の時、6年生の夏まで吹奏楽部に在籍していてトロンボーンを演奏していました。
毎年7月に「七夕音楽祭」という行事が今はなき「谷津遊園」で行われていて小学5年生、6年生と続けて参加していました。
谷津遊園は当時習志野市にあり、母体である京成電鉄が大正15年に開園して規模も拡大していき、当時東京至近に位置しているテーマパークとしてかなり人気がありました。
谷津遊園自体は黒字経営だったのですが、母体の京成電鉄の経営が厳しくなってきたこと、京成電鉄自体が「東京ディズニーランド」の経営に参加することになったことにより発展的に解消され1982年12月21日(ディズニーランド開園の前年)に惜しまれながらも閉園となりました。
谷津遊園の跡地には団地が立ち並び当時の面影はなくなってしまいましたが、その団地街も「谷津パークタウン」という名前、園内のバラ園はそのまま残されて「谷津バラ園」として運営されています。
また「楽天府」という撮影所に使われたシンボル的な建物は移設され、千葉トヨペットの本社として現存しています。
千葉トヨペット本社屋
中学1年生当時、谷津遊園が閉園すると聞いて七夕音楽祭の思い出もあったのでとっても残念に感じました。
七夕音楽祭以外にも家族に連れられて行ったようですが、小さいころだったのであまり覚えていませんが。
1925年から1982年までおよそ57年間営業していた谷津遊園が私にとって子どもの頃の夢の国でした。
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