さよなら令和5年度

こんにちは。

昨日またしても調子こいて小麦を食したら今日は絶賛花粉症発作中の荒井です。いい加減学習しましょう(笑)

さて令和5年度も今日で終わり。役所や企業に勤めているかたは明日から新しい部署に異動されるかたも多いと思います。
明日から令和6年度。しかし何故4月から新年度なのでしょう?
海外は9月から年度が変わることが多いようです。そう言えばコロナ禍初期の2020年は学校が休校となり、これを機に海外に合わせて9月から新年度にしてはどうか?みたいな議論がされていましたね。すっかり何処かに行ってしまったようですが…

世界的に見ても4月から新年度というのは日本くらいなものらしいです。(インドの一部地域も4月から)

そもそも「年度」って何?
ある集団の目的に合わせ定められた1年のことを「年度」と言います。
例えばお役所や企業が予算にそって業務を行う「会計年度」、各種学校が学年変更を目的とする「学年年度」などがあります。日本は全て4月からです。
因みにアメリカは国は10月から、学校は9月から、企業は1月からとそれぞればらばらです。

年度はどのように4月に決まった?
元々日本は旧暦1月から新年度という形が昔からあったようです。
明治2年に初めて会計年度が導入され欧米に合わせて9月から新年度となりました。しかしその後頻繁に変わったようで、1月始まりになったり、7月始まりになったり…
明治19年からようやく今と同じ4月から新年度となったようです。

では何故4月からなのでしょう?
①当時の主な産業が米作であったから説
江戸時代は米で年貢(税金)を物納していましたが、明治になって税金はすべて現金による納付が原則となります。
そのため米を収穫して売って現金に換えそれから納税するという手間が必要になったわけです。
12月末を年度替わりにすると収穫から4か月しかたっていないので現金化に間に合わず、また国もそれらの納税額を全て処理して1月以降の新年度予算を考えるというのは難しい、なので4月から新年度になったという説です。

②「赤字予算を解消したから説
明治の日本政府は欧米の文明に追いつこうと富国強兵に多くの予算を投入しましたが、明治17年には大きな赤字財政へと転落する危機に直面しました

当時大蔵卿だった松方正義さんは自分の任期中に赤字となることは避けたいと考えてとんでもな方法を思いつき実行します。
それは次年度の歳入3カ月分を17年度に繰り上げて計算し赤字を解消したのです。
しかしそのままだと次年度は3カ月分の歳入が少ない状態で予算を組むことになるので翌18年度の赤字が避けられません。
そこで松方卿は18年度を3カ月短くした9カ月にするという方法を考えます。
当時の年度は7月始まり~翌6月末でしたので、18年度を7月始まり~翌年3月までとし、明治19年度から4月始まり~翌年3月に固定する決定を行いました。
赤字を避けるために次年度から3カ月分の歳入を強引に繰り上げそして次年度を3カ月短くした。
結果それまでの7月開始から4月開始の年度へと変わったというとんでもない説です。

まぁそんな時代だったのでしょうけど、未だにそのままの年度が使われている訳ですね。
最近では欧米に合わせて1月から会計年度とする企業も増えてきたようですが、国全体として年度を変えるというのはなかなかに難しいのでしょう。

そういった大局的なことはとりあえず置いておいて4月からの新年度、色々と変わるかたも多いと思います。
またこの時期は季節の変わり目でもあり、身体が冬仕様から春仕様、そして夏仕様になっていく時期でもあります。
お身体にはお気をつけて、どうぞ良い新年度をお迎えください。
令和6年度もどうぞよろしくお願いいたします。

最後までお読み頂きありがとうございます!