こんにちは。
今日はユニセフ(国際連合児童基金)が提唱する「手洗いの日」です。
手洗いは「最もお金がかからずに効き目のあるワクチン」と言われるほどの感染症対策とされています。
新型コロナウイルス感染症が流行った時にも手指消毒の有効性が語られていましたよね。
・日本は恵まれている
世界的に見ると、10人に3人、約23億人が自宅に水と石鹸で手を洗う設備がなく、後発開発途上国と言われる国々ではその割合が10人に6人になると言われています。
(出典:ユニセフ)
新型コロナウイルス感染症の流行前から商業施設の入り口には消毒用のアルコールが置かれていましたよね。
それに公衆トイレで自由に手洗い出来る(それも無料で)日本という国は恵まれている訳です。
・ガチャ
話は変わって、自民党の総裁選の影に隠れがちだったけど、先月の立憲民主党の代表選挙で、野田さんが見事に代表に返り咲くことが出来ました。
その中の決意表明で野田さんは、教育の機会均等が実現されていない現状に「親ガチャなどという言葉は死語にしようじゃありませんか」と訴えたそうです。
更に教育以外でも、「弱い人を助ける政治の国は、終わり、弱い人が生まれない社会をつくる、この国に生まれて良かった、『国ガチャに当たった』と言える国をつくろうじゃありませんか」と語ったそうです。
これには「大いに賛成」という声もある一方で、「そもそも国ガチャになってはいけない」などと賛否両論だったようです。
「ガチャ」とは元々「ガチャガチャ」「ガチャポン」というお金を入れてハンドルを回すとカプセルに入ったおもちゃが出てくるもので、最近ではスマホゲームなどで引くくじを「ガチャ」と呼びます。
「運次第」という意味で使われる「ガチャ」。国政に係わるひとの言葉としては使いどころが難しいのでしょう。
ガチャ=運と考えると判りやすいですね。何ごとも「運」の要素は否定出来ません。
しかし「努力次第でどうとでもなる!」というのも事実だったりします。
私個人的にはなんにでも「ガチャ」とつけるのは嫌いなんです。かといって努力次第でどうとでもなる的な根性論だけってのもどうかと思います。
「運」だけに頼ってもどうにもならないし、「努力」だけでは超えられない壁もある。
どちらも不可欠で、どちらも大切なんだということです。
・感謝
今の自分を構成している要素は、確かに「ガチャ」的な要素もあると思います。
その意味では、手洗いに困らない日本に産まれたことは素晴らしい「ガチャ」を引いた訳です。
その日本の中でも貧富の差は拡大してきています。貧しい家庭に産まれたことは良くない「親ガチャ」引いたと言いたい気持ちも判らなくはないです。
しかし、既に良い「運」を持ってこの日本に産まれた訳ですから、そこに「感謝」しながら「努力」すべきなんでしょう。
今の自分を構成している要素は沢山あります。また「もっといい」、暮らしだったり会社だったり人間関係だったりを望むことは悪いことではないし、中には生死に関わる場合もあるかもしれません。
健康で暮らせているのであれば、そこに「感謝」して、そこからは自分の思うように生きていく。
そもそも「もっといい」という基準自体が自分で決めてしまっているのです。
清貧を良しとする訳でもありません。確かにお金は必要だと思います。
でも隣の芝生ばかりみていると、自分の庭に咲いている花の美しさも気づかない。実はとっても素晴らしい花が咲いている筈なんですよ。
「ガチャ」で当たったアイテムよりも、既にあなたも私も素晴らしいアイテムを持っているのです。
最後までお読みいただきありがとうございます!