![箱庭](https://colonelakira.com/wp-content/uploads/2024/03/25184746_s.jpg)
こんにちは。
千葉は午前中風雨が激しくてまさに「春の嵐」状態でした。こうして季節は巡っていくのですね。
ところで今日の帰宅時(19時くらい)クルマで信号待ちをしていたのですが、
歩道に自転車にのっていた見知らぬおっさん(私もおっさんだがどう見ても私より年上のおにいさん)がこちらを向きながら何か大声を張り上げていました。
そちらを見ると私に向かっておっさんが自分で自分を指さして「俺?」みたいな仕草をしていたので、私は何が何だかわからないしそもそも知り合いでもないので、首を振って「違う」というジェスチャーで返しました。
おっさんはそのまま去って行ったのですが、去り際に「ふざけんじゃないよ」みたいな事を言っていました。さっぱりわからない。
基本的に私は争いは嫌いです。でも瞬間湯沸かし器であり瞬間湯冷まし器でもあるので、0.2秒ほどで怒りがこみ上げて、0.3秒ほどで静まりました(笑)
全く知らないひとだし、そもそも何かをした訳でも無い(出来る距離や位置関係でもない)。ではあのおっさんは何だったのだろう?
色々と考えてみました(勿論ブログのネタが出来た!と考えましたとも 笑)
十中八九、単に酔っぱらっているのか、食らっているのか、おかしいひとなのか、いずれかだとはおもいます。
でもおっさんにはおっさんの世界があり、少なくとも私より年上に見えるので当然私より時間を過ごしてきたのだと思います。
そしておっさんの精神状況はともかくとして、実際にそこに存在するということはおっさんの世界ではおっさんは正常なのだろう。
おお、これは面白い。
ひとは全て違う、それぞれの世界があります。その世界はそれぞれが主人公であり、それぞれがその世界では正しい存在なのです。
故に誤解を恐れずに白黒はっきり言うなら「ひとはわかりあえない」のだろうと思います。
輪廻転生を信じる私は「魂は完全な自由な宇宙から制約のある地球にやってきて成長とともに自由を学ぶ」と考えています。
ひとはいずれわかりあえると私は考えていますが、それは地球でではないのかもしれません。
宗教的に言うと現世は修行と表現するのかもしれませんが案外間違いではないとも思います。
そして地球にきた魂はそれぞれ自分の世界だけで生きていきます。そうそれは「箱庭」と表現してもいいでしょう。
その「箱庭」は自分でどうとでもできる「宇宙」なのです。宇宙の中に宇宙がある。世界の中に世界がある。箱庭の中に箱庭がある。そういう構造なのだと思います。
だから自分の考えも「箱庭」の中での判断になりがち。つまりみんな「世間知らず」なのだろうと思います。
他人の「箱庭」を眺めて青く見えたり枯れて見えたり、広くも狭くも見える。
しかしそもそも自分の世界なのだから他の「箱庭」と比べるのはナンセンスだと思うし、それを自分の「箱庭」に生かすことすらする必要もないのだと思います。
ひとの幸福を願って作られた「国家」ですら「箱庭」。そう考えると全てのひとが満足するのは地球では無理なのかもしれません。
所謂「普通」とか「常識」ということもそれぞれの「箱庭」の最大公約数なだけであって、正解とは限らない。
全体の数値がずれていけば最大公約数もそれに伴い傾いてくる。そしてそれを狙って仕掛けてくるひとももちろんいる。
そう考えると他者を基準にもってくる判断がいかに危険というかズレているのかが判るだろうと思う。
「みんながやってる」とか「みんないってる」って言われると納得してしまいがちだけど、その考えは危ういし、その「みんな」って誰なんだろう?といつも思う。
そもそも「みんな」って「皆」という漢字で意味は「全て」とか「残らず」という意味であり、ひとを指して「みんな」と言って当てはまるのは「生きてる」というくらいなもの。
個人がそれぞれ違うという意味においてクローズドの集団の中でさえ「みんな同じ意見」とか「みんなが言ってる」ってありえないのです。
だから本来ひとと比べるというのは意味が無い。しかし現世の社会はひとと比べることばかりですよね…
少し話が逸れましたが、自分という名の物語、箱庭の世界では主人公は自分であり、自分は必ず正しいのです。
そしてあなたも私も既に「完璧」な存在なのです。そうそれは、既にあなたの「箱庭」は完璧な箱庭なのだから。
その考えだと冒頭のおっさんも完璧な存在となるな…間違いない。ネタ提供ありがとうございました!(笑)
最後までお読みいただきありがとうございます!