沢庵忌

こんにちは。

まだ若干の筋肉痛が残る荒井です。土曜日に運動したのですがお歳と共に回復も遅くなりますね(笑)
でも最近はそんなお歳も許せるってか愛せるようになりました(笑)

さて今日12月11日は「沢庵忌」と言う日だそうです。
江戸時代の臨済宗僧侶の「沢庵宗彭」さんの亡くなった日(忌日)だそうです。
沢庵宗彭さんと言えば吉川英治さんの小説「宮本武蔵」や井上雄彦さんの漫画「バガボンド」に出てくる沢庵坊のことなのですが、こちらは創作で史実では宮本武蔵と絡んだ様子は無いようです。
漬物の「沢庵」は沢庵さんの考案で名付けられたとも言われています(諸説あり)
因みに「たくあんの日」と言う日が「全日本漬物協同組合連合会」により11月11日に制定されています。
こちらはたくさんの「1」「1=わん=あん」が並ぶ日の語呂合わせと1が並んでいるのが大根を沢山干しているのに見立ててのことだそうです。
沢庵さんが考案したというのに諸説あったので12月11日がたくあんの日にはならなかったのでしょう。

沢山ある沢庵宗彭さんの逸話の中で好きなのが、自分一代で自身の禅を断絶させているという話。
弟子をとることは無く、自分の死後に沢庵さんの禅を引き継いだ人が現れたら「賊」であるとまで言い切っています。
また自身の事蹟(本とか記録とか自分の痕跡)を残すことを禁じたそうです。

人間に限らず生物は知恵や経験に基づくことや伝承などは引き継げても、記憶を引き継ぐことは(基本的には)出来ません。(そういう研究もあるようですが)
記憶を引き継げた方が良いのであれば進化の過程でそういった個体が生き残ったと思います。
そう考えると例えば感情から子孫に財を残すということも知恵や伝承の継承と言った意味であり、勿論素晴らしいことだと思いますし否定はしませんが、生物の進化という意味においてはあまり関係ないのかもしれません。

まぁ、何世代に渡っての記憶が残っていたらいくらなんでも頭がパンクしそうですし、却って経験が邪魔する的なこともあると思います。前世の黒歴史に身もだえるとか嫌すぎる(笑)

赤ちゃんが柔らかい(物理的にも未成熟という意味においても)のは変化出来るようにという意味。そう考えるともしかしたら変わっていくことが人の本質であり、もし神さまが居るとしたら変化してくことを人に求めているのかもしれません。それには記憶はあまり必要ないということなのでしょう。

だとすると最近流行の「なろう系」ラノベやアニメ化された作品に「異世界転生系」が多いのはどういうことなんだろう?
単に流行りだからと思うけど、なんにでも意味はあると考えている私から見ると「荒唐無稽な話も否定はしきれない」つまり人の認識が変わろうとしているようにも見えました。
でも「異世界転生系」って大抵記憶は引き継いでいるんだよなぁ。それは無双するための設定であり記憶もなく転生したらただの「異世界物語」になってしまう(笑)

まぁ余談はともかく、変化するっていうのが人のデフォルトならば初心貫徹みたいな一部の道徳的教えも枝葉の考えになってしまうから言い切れないけど、変わることを懼れない。そういう考えは大切だと思う。
だってさ、お歳を召してくると変わるのって面倒になってくるんだよね(笑)筋肉痛も取れないし(笑)

歳を重ねても変化することを厭わないってカッコいいと私は思いますしそうありたいですね。
沢庵宗彭さんはもっと深く考えているでしょうけど、この「弟子を取らなかった」という話を以前に聞いた時に勿体ないと思ってしまったが、今なら「素晴らしい」ということが出来ます。

自分は今いる自分だけなのだから。

最後までお読みいただきありがとうございます。