こんにちは。
保険屋、PTA会長、朝カフェ主催、何でも屋さん、ジャムおじさんなどなど…
肩書き(自称含む)の多い荒井です。そんな「肩書き」について考えてみました。
先ず始めに言っておきます。肩書きでその人を判断してはいけません。よね。
とはいえ自称も含めて「肩書き」ってだけで先入観で出来てしまいますよね…
私は以前中古車屋さんに勤めていたのである程度クルマには詳しいと思います。
保険関係でお世話になってる方の息子さんのクルマの車検や修理などでちょくちょく顔合わせていましたが、
数年たってから何かの話で私が保険屋であると伝えたところ、「えー、知らなかったです」と(笑)
それから保険の話を頂いたりしたので結果オーライですし、それより保険屋とすっかり知っていると思い込んでた自分が悪いですね。
「クルマに詳しい人」という肩書きこそないけどそういった認識だったのだと思います。
「肩書き」にふさわしくなっていくというのも事実です。
社長になったら社長らしくなっていく。部長になったから部長らしくなっていく。
お医者さんはお医者さんらしく、警察官は警察官らしくなっていく。
まぁ所謂ステレオタイプなところもありますがね。
有名な「スタンフォード監獄実験」というものあります。
1971年アメリカのスタンフォード大学で行われた心理学の実験で、
被験者21人で、看守役11名、囚人役10名で監獄を模した施設で実際にそれぞれの役に扮しての実験。
結果、看守役はより看守らしくなっていきだんだんと暴力的傾向が現れてきた。
囚人役はより囚人らしく従順になってきたという実験結果です。
最近実験結果に疑いも出てきたようですが、肩書きになっていくという典型だと思います。
私もPTA会長を務めさせて頂いていますが、会長になれるからなったのではなく
会長になったから会長らしくなっていくということですね。
そして会長だからこそ話を聞いてくれるというところもあります。
一個人の荒井としてお話するのと、会長という立場でお話するのとは聞く側も違った反応になることでしょう。
それを見越してお話をすることもあったりもしますが。
だからと言って立場を自分に都合よく利用するのは違うと思います。
目上であればあるほど、立場が上がれば上がるほど「謙虚」であるべきと思います。
だって立場が上ならば話を聞いてくれるのは当たり前(内容が響くかどうかは別)ですし、
それを分かったうえでお話するべきだし、そうであるならば「謙虚」であるほうが生産的だと思います。
「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」とはよく言ったものですね。
「肩書きで人を判断してはいけません」とはそういう意味です。
さてここまで書いておいてふと思いました。
「荒井 晃という名前も肩書きなのか?」と。
さぁ、哲学的になってきました(笑)このあたりはまたの機会にお話しようと思います(出来るか?)
最後までお読みいただきありがとうございます!