
こんにちは。
知人が詐欺に遭いました。
競馬のレース結果は事前に決まっている。その情報を買いませんか?
簡単に書けば胡散臭さ満点ですし、チラシを見せてもらいましたが、どう読んでも詐欺以外の何物でもないチラシ。
それでも残念ながら騙されてしまうひとがいるのも事実。
振り込め詐欺なども被害者のおよそ7割は「私はひっかからないと思っていた」と言っているそうで、性善説の私なんかは信じてしまいがちで、勿論自分なりに気をつけてはいますが、いいカモになってしまいそうな気もします。
海援隊の「贈る言葉」の歌詞に「信じられぬと嘆くよりも、ひとを信じて傷つくほうがいい」とあります。
ある意味究極の性善説だと思いますが、そこまで聖者にはなれなそうですし、自己防衛という意味では「疑ってかかる」のは決して悪いことではないと思います。
純粋な善意は存在します。しかし残念ながら純粋な悪意も存在するのです。
詐欺に遭わないためには…教習所で習った「だろう運転」と「かもしれない運転」の考え方が有効な気がします。
「だろう」というのは希望的な観測といった要素が多いような印象。
対して「かもしれない」は悲観的とも言えると思います。
大丈夫「だろう」、儲かる「だろう」、
騙されている「かもしれない」、詐欺「かもしれない」
なんとなく伝わっていますかね?
敵もさるもので、詐欺師たちもあの手この手を尽くしてきます。
個人的には不毛とも思えますが、やってくるのは仕方ない。
なんでもかんでも疑ってかかるのもどうかと思いますが、自分の身と財産を守らなければなりません。
美味い話には必ず理由があるのです。
そしてひとりで抱えず誰かに相談する。
詐欺にかかったのはなんだか恥ずかしい気がして、あまり相談することも少ないのかもしれません。
相談する誰かは知人でなくても良いと思います。
なんて、過去口車に乗せられて某宗教に入ったことにされてしまった私が言うと「おまゆう」になってしまいますね(苦笑)
情報過多の時代、兎に角気をつけていくしかないですね。
最後までお読みいただきありがとうございます!