こんにちは。
絶賛年末進行中の今日この頃ですがみなさま如何お過ごしでしょう?
今日は今年最後の「朝カフェの会 市原」を開催させて頂きました。
いつも美味しいモーニングを用意頂きまた会場ご提供頂いた787cafeさん、お越しいただいた多数のみなさま、本当にありがとうございます!
会の中で少しPTAの話題になりました。経験されているかたも多いようで「市のPTA連絡協議会の会長もやらされた(笑)」というかたもいらっしゃいました。別の市でしたがとても親近感を覚えました。
肩書きで言うと私は、「保険屋」、「PTA会長」、その他に所属している地域団体の「委員」だったり「評議員」だったりといくつかあります。
また私の中では、「便利屋さん」だったり、「ジャムおじさん」だったり…
かみさんから見れば「旦那」であり、息子からみれば「父親」で、母から見れば「息子」であり、兄弟から見れば「弟」。
沢山の「名前」があり、それぞれが矛盾することなく同居しているのが「個人」。
その「名前」に相応しくないというか、それぞれの面で「まだまだだなぁ・・・」と思うこともあります。
「荒井 晃」という「個人」を色んな角度から見るとその「名前」に相応しかったり、まだまだだったりするけどそれも込みで「荒井 晃」を構成する要素。
ぱっと見れば「荒井 晃」なんですが、いろんな要素、ダークな荒井だったり、エンジェルな荒井(笑)、中庸な荒井に怠惰な荒井と沢山の側面がある訳です。
そんな個人が構成する社会、各種団体も色んな側面がある訳です。
そう考えると何ごとにも色んな側面、多面性がある。自然界にはまだまだ解明されていない側面がある訳でそれを解明しようとするのが「学問」なのだろうと思います。
つまり人類ではまだまだ解明出来ていない自然界の側面が沢山ある訳で、解明出来ていない不思議なことも沢山ある筈です。
それを単に「オカルト」や「トンデモ科学」として片づけてしまうのはどうかとも思います。
歳を重ねると身体をはじめ、いろんなところ固くなってきてしまいます。
仕方のないことかもしれませんが、一側面だけでは測れないことがらが世の中溢れているのです。いや、多面性のあるものしか存在しないと言っても良いかと思います。
なにせ自分自身だってそうですよね?
なのでせめて思考だけでも柔軟に、ひとの考えや行動を一側面だけで判断するようなことはなるべく避けていきたいものだと思った朝カフェでした。
最後までお読みいただきありがとうございます!