原子力と二面性

こんにちは。

1957年8月27日、日本で初めて作られた原子炉「JRR1」が臨界実験に成功。日本に初めて「原子力の灯」がともった日となりました。
「JRR1」は各種実験や技術者の訓練、運転停止後は原子炉の廃炉技術確立のために役立ったのであくまで実験炉という位置づけです。

戦後日本は7年間に渡り原子力研究を禁止されていましたが、サンフランシスコ講和条約の締結後から高度成長期に伴い電力需要が増大。これに対応すべく平和目的に限っての原子力利用認められました。
とは言え基礎研究も自国で出来ていなかったため、開発はアメリカ頼みだったのです。

広島、長崎と唯一原子力爆弾の威力を身をもって知る日本、そして1954年3月1日にはビキニ環礁近くの安全と設定されていた海域で操業していた第五福竜丸が核実験により被ばくする事件「第五福竜丸事件」も発生しています。
当時も原子力に対して反対する世論も勿論ありましたが、政府も経済界も揃って原子力推進キャンペーンを張って強力に原子力推進を推し進めていきました。そう「平和利用」という名のもとに。

犠牲や事故が起きると反対運動も起きる。また人間のすることに絶対はないので綿密に計算されてるとは言え原子力にも事故はありえますし、実際起こっています。(こちらの記事も良ければご覧ください)
個人的には倫理的な問題はおいておいて、ひとは想像したものを創造してきたのです。原子力(発電も爆弾も)はいずれどこかで完成し、恩恵と災厄をもたらすのだったと思います。

その災厄である原子力爆弾。初めて開発し使用したのはアメリカですが、実は戦前から戦中の日本でも同様の計画がありました。
当時仲が悪いとされていた日本軍らしく、海軍主導の「F研究」と、陸軍主導の「二研究」という2つの原子力爆弾開発計画があったのです。
幸いなのか残念ながらなのか、当時の日本の原子力爆弾開発計画では、基礎研究すら完成していなかったので兵器化は出来なかったのですが、もし戦時中に日本も開発出来て、実際に使用されたとしたら…第二次世界大戦は最終戦争になっていたかもしれません。

ただ、お隣の中国は1939年から1940年の間に日本は中国でウラン鉱を発見。日本は核兵器の開発と実験が進むにつれて、秘密裏にウラン鉱石を採掘し、それを飛行機で東京に直接輸送し始めました。 という文書を政府公式ウェブサイトで発表しています。
核兵器開発が成功したとは書いていませんが、後でそう取れるような布石にも感じますね。

またロシア(旧ソ連)政府系通信社スプートニクに至っては、1945年8月12日に日本は朝鮮の海域で核弾頭のサンプルを爆発させたと主張しています。

「実は日本も核兵器を開発出来ていた!」なんて話は眉唾以外の何物でもなく、「それを防いだソ連(現ロシア)はアメリカを救った」的な発想なんでしょうけど、笑いごととは言えません。
こんな突拍子もない話が真実としてまことしやかに流され固定してしまった例は他にも沢山あります。「実は日本は核兵器を開発出来ていた!」「だから核兵器を使われても仕方ない」なんて話になってきたら最悪ですね。

戦後の原子力推進もそうなんですが、何かが流行ったり風潮が変わるときには、何かの力が働いていることを心に留めておくべきだと思います。
自分には関係の無い話だとしても、巡り巡って実害(実益もあり得る)が発生するかもしれません。
もっと簡潔に単純に生きていたいと思うし、それだけで十分だとは思いますが、世の中には必ず「悪意」という裏の顔は存在します。

まるで「平和利用の原子力発電」と「兵器利用の核兵器」という原子力の二面性のように…

最後までお読み頂きありがとうございます!