こんにちは。
連日猛暑が続きますがみなさまお変わりはございませんでしょうか?
先日ネットの記事を見て「ニシオンデンザメ」なる長命な生き物がいることを知りました。
なんでも512歳!の個体も確認されたらしい。今(2024年)から512年前とは1512年。
1534年産まれとされる「織田信長」より先輩であるとのことです!
長命の理由として低温の深海に生息しているようで、また極端に代謝が遅い(つまり老化しない)という理由だそうです。
また泳ぐ速度も極端に遅く(時速1キロ程度)、雑食性でなんでも食べるようですが一般的なサメのイメージと違って、襲うというより待ち伏せ、不意打ち、死骸を漁るなどの食性、逆に言えば積極的に狩猟出来ないからなんでも食べるのでしょう。
512歳も生きていれば色々と悟りもひらけるかもしれませんが、ずっと変わらず成長もせずただ存在しているということです…
ひとは生きて死ぬ。これは太古の昔から変わらないことです。
普通に生活しているレベルの代謝でひとが512年も生きれれば、きっと別の存在にもなれるような気もします。
しかしニシオンデンザメのように極端に遅い代謝で、冷たいところで生活しなければ自然的な長寿は難しい。けどそこまでして長生きしたいとも思わないですよね。
例えば無限に近い時間があったとします。そうするとひとは、社会はどのようになっていくのでしょうか?
色々と考えられますが、きっと何もしないと思います。限られた命、限られた時間だからこそひとは成長し、社会は発展してくことでしょう。
深海のようなとてつもなく暗く寒いところにひっそりと生きている。誰にも知られることもなくただ目の前にあるものを食べながら存在し続ける。これって不老不死という名の「死」なんだと思います。
ひとの生き死にの話になると「不謹慎」という言葉も出てきますが、「死」は誰にでも間違いなく訪れます。早いか遅いかの違いです。
だからこそ「今」存在していることが奇跡であり、有難いことなんですね。
また我々がひとだからこそ、生に意味を持たせ、死に意味を持たせる。
生物の目的は「種の存続」であることは間違いないのだが、ひとの目的はそれだけではないと思う。
それこそが「万物の霊長」と自称してきたひとの業(カルマ)なんだろう。
「虎は死して皮を残し、ひとは死して名を遺す」と言われる所以であろう。
そして遺す「名」も名声とか偉業である必要は全くなく、ひとの心や記憶に残ればそれで良いのだと思う。
生きることに意味を見出すのも、見出せなかったことも、そもそも意味づけをしなかったことも、目標を未達だったことも、悔いの無い人生を送れたことも、全て自身が決めたこと。ただ「そうだった」ということだと思います。
遺されたひとたちが意味づけや物語にしたりすれば「死して名を遺す」ということになるんだろう。
人生はいつからでも、いつまでも、関係なく、「今」を一生懸命に生きる。ただそれだけなのだと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます!