こんにちは。
今日は久しぶりの土曜朝会に参加させて頂きました。同じくらいの世代のかたが多かったので話も弾み、アラフィフおっさん鉄板の「クルマとバイク」ネタで盛り上がりました。
1975年から当時の週刊少年ジャンプにて連載された池沢さとし(現:池沢早人師)さん作の「サーキットの狼」に端を発すると言われるスーパーカーブーム。私は小学校入学前から小学校低学年でしたが正にドンピシャの世代です。
当時行っていたお医者さんの待合室には「サーキットの狼」が並んでいて食い入るように読んでいました。
スーパーカーブームはクルマの免許が取得出来ない子どもたちを中心に盛り上がっていたと思います。
カードやビン入りコカ・コーラのフタの裏に描かれたイラスト、イラスト入りの文具、そして「スーパーカー消しゴム」。集めましたねぇ。BOXYのボールペンで弾いたり(懐)
因みに「消しゴム」と言われていたので学校に持っていってました(笑)実際には字消しの役にはまったく立ちませんでしたけど、役に立ったのは見せびらかしあいっこでした(笑)
私の代から下2学年くらいが所謂「第二次ベビーブーム」の世代です。1973年の出生数は209万1983人。因みに2023年は75万8631人!およそ三分の一に減少しているんですね…
少子高齢化はまた別の記事にしようと思いますが、それだけ子どもが多かったのです。
スーパーカーと呼ばれる高性能スポーツカーは当時も高額です。第二次ベビーブームの親世代である第一次ベビーブーマー(所謂団塊の世代。因みに1949年の出生数は269万6638人!)がバリバリの現役であったころ、
1975年当時の新卒給料が月9万円と言われている時代、スーパーカーの代名詞と言われる「ランボルギーニ・カウンタック」が1975年当時新車で1,750万円から2,000万円!庶民には高嶺の花であることは今も昔も変わらないのです。
なのでスーパーカーが売れたというブームではなくて憧れの対象として、グッズが売れたり、展示会にはカメラを持った子供たちが群がり、町で見かけようものなら文字通り走って追っかけて行った、所謂アイドル的なブームだった。
そしてそのアイドルは「カッコいい」が大好きで「モノ収集」も大好きな男子に刺さるようプロモーションされたんだなぁと、今ならすっきり理解出来ます。
1970年代が終わるころにはブームも急速にしぼんできました。しかしおよそ10年後の1980年代に第二次スーパーカーブームと呼んでもいいブームが来ました。
今度は実際にスーパーカーを所有するひとたちが増えたブームです。そう、世の中はあの「バブル景気」が始まったのです。
しかし乗りたくて所有するというより、不動産のように投機目的が多かったと思います。例として新車価格4500万円のフェラーリF40が一時期2億5千万円まで価格が高騰したりもしました。
バブルもリアルタイムで経験した世代ではありますが、バブル前夜は一時期「ファジー景気」とも呼ばれていて「何故か景気がいい」と実感もあまり無かった記憶があります。
しかしスーパーカーも投機目的では浮かばれませんね。
フェラーリというメーカーは「F1に参戦して勝つためにクルマを売る」と言ってるくらいのメーカーでモータースポーツ(F1)で確立したブランドイメージを大切にしています。因みにイギリスで2020年に「世界最強のブランド」とされたこともあります。
フェラーリの戦略は「広告は打たない」「欲しがる顧客の数より1台少なく作る」という戦略が有名です。
F1で勝つことによりファンを増やし、広告を打たないことで価値を高め、欲しがる顧客の数より1台少なく作ると表現される少数生産で希少性を高める。
また、お金を沢山稼いでフェラーリを買えるようなひとでも購入後1年は改造禁止、違反してフェラーリを怒らせたらイベントへの出入り禁止や、最悪の場合フェラーリの購入を断られることもあるそうです!
更にフェラーリは中古市場でも価値を落とさないようにしています。古いモデルを専門にメンテナンスする「フェラーリ・クラシケ」という部門があり、そこで手が入った車両には認定書も付ける。
クラシケ部門でメンテナンスされた車両はフェラーリのお墨付きとなるので古いクルマでも値崩れしないどころか場合によってはプレミアもつくこともあります。
フェラーリは「製品」ではなく「作品」と扱っています。ホント強気の戦略、正に「最強のブランド」ですね。
これはブランディングのスペシャルな見本ですね。とても真似出来ないかもしれませんが、ビジネスのヒントになるようなことが沢山あります。
と、フェラーリの話ばかりになってきましたが、懐かしのスーパーカーブームもこの歳になって落ち着いて俯瞰するとマーケティングやブランディングの学習になるなと感じます。
何ごとからも学びはあるものですね。
最後までお読み頂きありがとうございます!