こんにちは。
ブログ更新も一周(一年)すると、「去年の今日は何書いたっけ?」と確認することが出来るようになりますね。
因みに昨年の記事では朝カフェの会を開催した日で、そこから本来私は「目立ちたがり屋さん」だったという内容でした。
さてこの一年、私自身を振り返るとあまり変わっていないと思い知らされました(苦笑)
何もしていない一年な訳ではありませんですが、それでも何か変わったかと言われると「あまり変わっていないなぁ」という実感です。
とは言え「全てのことに意味がある」と私は思うのでこれも意味があるとは思っています。
だけど、例えば去年より痩せたひとは痩せる努力や習慣をしているのでしょうし、仕事で収入が増えたとかなら収入を増やす行動をしているのです。
「全てのことに意味がある」とは、後から思うと「ああ、これが繋がっていたんだな」と感じる訳なのですが、歳と共にその「繋がっている」と感じるインターバルというか、気が付くタイミングが「長く」なってしまっているような気もします。
息子は今年高校受験。順調に行けば春から高校生(予定)なのですが、学生の頃は年ごとに違う行事もあり、進級・進学がありで、環境が言わば強制的に変わる。
なので成長を感じるインターバルが短いし、実際「育ち盛り」という時期で身体的にも精神的にもどんどん成長していく時期。
大人になると毎年が同じに流れていってしまうところがあり、また変えるにも自分で変えていかなければならない。じゃあ現状維持で良いのかなぁ…となってしまうのでしょう。
多分それが大人になる(若しくはなってしまう)ということなのかもしれません。
コブクロの「願いの詩」という歌に「いつか僕も 大人という 抜け殻になる」という一節があります。
これを聴いた時は年齢的に私も既に大人でした。なのでとっても嫌に聞こえてコブクロ嫌いになりました(笑)
でも今では、私が理解する言わんとするところはとっても共感出来ます。
いつまでも聞き分けない中身が子どもの大人ってのも困りものです(笑)「こどおじ」とか言われますが、実際に聞き分けない大人は身近にも居たりします。
それは中身が子どもだったりすることもあるけれど、だんだん思考が固くなる「老化」のひとつでもあるように思う。
「歳はとるものではなく、重ねるもの。」
誰かが言った言葉かどうかググってみましたが該当しなかったので私のオリジナル名言(笑)
年明けで55歳になる荒井の実感として、歳をとることはどうしようもないですし、みな平等に歳をとっていきます。しかし思ったてたより悪いことではありません。
単なる数字ですし、日々過ごしていくだけでも自分の中に色々と積みあがっていく実感はあります。その積みあがっていくものの上に更なる経験が積みあがっていく。
ただただ「今」を生きてその積み重ねが年齢を重ねるということ。
そしてその積み重ねたものが「繋がっていく」。
いい歳の積み重ねをしていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございます!