こんにちは。
「ファジー」って言葉、覚えてます?
意味は「あいまい」とか「ぼやけた」という意味。
1990年(平成2年)には「新語・流行語大賞」の新語部門金賞を受賞した、由緒ある単語(笑)
「ファジィ理論」は1965年にカリフォルニア大学のロトフィ・ザデーさんが生み出した理論で、人間の曖昧な感覚をコンピュータに実現させる理論。
当時の家電にも「ファジー制御搭載」などと宣伝されていましたね。
また若者の世代として「新人類」と呼ばれた世代の後の世代として「ファジー世代」とも当時は呼ばれていました。けど今ではあまり「ファジー世代」とは言われてないですよね?何処に行ってしまったのだろう…
若者の「あいまいさ」を「ファジー世代」と呼んでいたのでしょう。
ビジネスシーンなどでは今でも使われている単語でもあります。
例1:「彼はファジーな対応が出来る」→柔軟な対応が出来るという意味。概ね肯定的な言い回しですね。
例2:「彼の対応はファジーだ…」→あいまいな対応で困る的な意味になります。こちらは打って変わって否定的な意味になります…
「ファジー」は使い方によって意味合いまで「ファジー」になります…
これは記憶違いでしたら申し訳ないのですが、所謂「バブル景気」も初期には「ファジー景気」=「何故か景気がいい」と呼ばれていた記憶があります。
でもほんの一部しか言われていなくて、弾けた印象と語呂の良さから「バブル景気」になった記憶があります。
どなたか覚えていたら、教えてください(マジで)
1990年、私は20歳でした。つまり私は「ファジー世代」にど真ん中!振り返れば(と言うか今でも)「曖昧な」にしておくことが多いかも知れません。
でも「新人類」も「ファジー世代」も単なる「レッテル貼り」でしかありません。
だって、5千年前のピラミッド建設当時に、「最近の若者は…」的な象形文字がピラミッドに刻まれている。
世代の違いというのは万国共通であるだけでなく、時代も共通なのですね。
逆に言うと若者が「最近の年寄りは…」と感じるのも万国時代共通な訳で、そこから断絶が起きてしまうのでしょうか。
どちらにでも取れるような「曖昧さ」が目立つようになっていたのは、そうする必要が社会に多分に出てきたからだとも思います。
人間は元々「ファジー」な生き物。個人の中には沢山の「側面」があって、決断や判断にはその「側面」のせめぎ合いがあるのです。
なので「ファジー」な判断や答えを出すのは、一種の生存戦略とも考えられます。そう考えると「曖昧」というのも、さほど悪いことでは無いのかとも思います。
なんでも「YES」か「NO」かを決めなくてはならないことが多い世の中。確かにそんな判断も必要な時もあります。
しかしそんなに重要なことでなければ、ひとに迷惑が掛からなければ「ファジー」でも良いのかも知れません。
人間「ファジー」で何が悪い!(笑)
そして当ブログの記事も「ファジー」な記事が多いかも知れません(笑)あしからず。
最後までお読みいただきありがとうございます!