変わっていく日本語

こんにちは。
あまり拘りが無いと自分では思っていたけど、
そんなこともないと最近気が付いた荒井です。

拘ることは悪いことではないです。
拘り過ぎることがあまりよろしくないこと
なのかと思います。

でも以前から気になることがあります。
それは「言葉の使い方」です。

私は以前にファミリーレストランと
コンビニエンスストアで店長をしていた経験があります。
その時にとっても気になった言葉があります。
当時ファミリーレストランでは、
お客さまが来店されるとお席までご案内します。その時に
「ご案内いたします。こちらのほうへどうぞ」
また会計時に
「1万円からお預かりします」

「ほう」も「から」も要らないのです。
・「こちらのほうへどうぞ」→「こちらへどうぞ」
・「1万円からお預かりします」→「1万円お預かりします」
私は「ほう・から言葉」と名付けて
そう言ったアルバイトさんの後ろで
「ほう・から」とつぶやいていました(笑)

コンビニエンスストアでも会計時に
「1万円からのお預かりで宜しかったでしょうか?」
などと言うアルバイトさんが多かったです。
「から」は要らないのは勿論のこと、
「宜しかったでしょうか?」という
何故か過去形になってしまうのは
いまだに違和感しかありません。

同様に所謂「ら抜き言葉」にも違和感があります。
「見れる」→「見られる」
「食べれる」→「食べられる」
「起きれる」→「起きられる」など…

また、所謂「略語」も気になったりします。
「了解」→「り」
「マジ?」→「マ」
これ以上省略しようがないので究極の略語ですね。
たまに使いますが(笑)

おお、立派な拘りですね(笑)
でもみなさんの中で気になるかたもいると思います。

とはいえ私はゴリゴリの
「日本語原理主義者 」(笑)ではありません。
また私自身も丁寧に言わんとするあまりに、
付けなくてもいい言葉をつけ足して言ったり書いたり
することもあります。
(この記事も何度か読み直して校正してます)

友人や家族など限られたコミュニティ内で
意思疎通に齟齬が無ければ、問題ないと思います。
「遊びに来れるの?」と言われたら
普通に「遊びに来られるの?」という意味と理解出来ます。
オフィシャルな場での発言だとちょっと恥ずかしいですが、
フランクなコミュニケーション上の言葉であれば
いちいち目くじら立てるのもどうかとも思います。
そういった意味で日本語は日々変わっていくものなのかもしれません。

略語に至っては、社会でも普通に使っています。
コロナの時に「まん延防止等重点措置」を「まん防」、
(「まん防」ってかわいい響きなので違和感ありますが…)
「暴力団対策法」を「暴対法」
時代を遡り大正時代に流行った言葉で
「モダンボーイ・モダンガール」を「モボ・モガ」
などなど…
(余談ですが「モボ・モガ」って初めて聞いた時は
なんだか汚らしいイメージがありました 笑)

ネットスラングをリアルで使う人もいるとは思います。
見方によっては「痛い」のですが(笑)
でも「リア充」や「コミュ障」など
元々はネットスラングだけど多数の人が使うようになり
市民権を得た(あるいは元々ネットスラングであることを
知らない人が増えた)例もあります。
(流石にリアルで「大草原不可避」とか言ってたら
それこそ「大草原不可避」(笑)

日本語は未だに「そういう意味だったんだ!」と
理解することもあったりします。
本来の使い方を学習しつつ
TPOに合わせて使っていけば
多少の乱れも省略も良いのでしょう。
と、拘り過ぎないようにしていきます。

あ、「TPO」も略語だったわ(笑)

最後までお読み頂きありがとうございます。