こんにちは。
ここのところの記事例えばうま味調味料について書いた記事でも、「理解」と「尊重」について書きました。
ひとは価値観が違って当たり前。違うことを「理解」して、相手を思いやる「尊重」することが大切だというお話です。
ここ最近新型コロナの第11派が来ていると言われています。しかし世間ではすっかりコロナ前に戻った感があります。
不要不急の外出自粛、マスク着用、アルコール消毒などなど、亡くなられたかたもいるので不謹慎と言われるかもしれませんが、思い返せば「コロナ狂騒曲」とも言える状況でした。
当時(既に当時と言ってしまいますね)、マスクをする・しないで揉めたりありましたね。これも「お互い」の「理解」と「尊重」が欠如していたということです。
加えて「ひとつ譲る」というか「ひとつ負ける」という精神も欠如してきているのだと思います。
マスクをしてくださいという状況ではマスクをする。それだけだと思いますよ。そこで「信念に従ってマスクはしない」というのは立派です。素晴らしいと思います。
けど他者が不快な思いをするのであれば、また信念を表明して説明し理解を得るのに掛かる労力を考えればマスクすればいいだけのように思います。
病などでどうしてもマスクが出来ないのであればその旨ご説明する。一時的でもマスクをしておくというのもあってもいい対応だと思います。
まぁ当時は道歩いていてもマスクをしているひとも居ましたし(ひらけた場所でも)、一人でクルマを運転しているひとでもマスクをしていたひともいましたね(笑)
おっと、マスクの話題ばかりになりましたが、「ひとつ譲る」「ひとつ負ける」ということが我慢ならない世のなかになってきているように思います。
なんでもかんでも自分の基準の「良し悪し」で判断するのはいいとしてもそれを押し付けるのは如何なものかと思います。
また比較的高齢のかたに多いような気がするのですが、「負けを認めない」傾向があると思います。端的に言えば「ひとの話を聴かない」。
長年培ってきた諸先輩方を蔑ろにするともりは毛頭ありません。しかし未だに年上というだけで上からくる方々もいらっしゃいます。
「稲穂は実るほどこうべを垂れる」とはよく言ったものです。だからこそ年長者として敬われる訳です。
これは私自身もそれなりの歳になってきたので自戒を込めての話なのですが、「聞く耳を持たない」というのはとっても損だと思います。
血圧も上がって自身の健康上もよろしくないでしょうし、聞いてくれないとなると話されなくなりますます自分の世界だけになってしまいます。
歳を重ねて今更「ひとつ負けた」としてもそれを包み込めるくらいの度量が欲しいところですね。
「理解」とは「物事のすじみちをさとること」「訳を知ること」→理性であり、
「尊重」とは「尊いものとして重んずること」→礼儀でありまごころだと思います。
そして「譲りあい」の精神です。
理性と礼儀、まごころ、譲りあいが世の中に広まれば、もっといい世の中になっていくと思います。
先ずは自分から。そして手の届く範囲から。
最後までお読み頂きありがとうございます!